「風に吹かれて」の命名者

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“ドラムを叩きながら”「ボーイズ」を熱唱するリンゴ
撮影OKでこんなに近いのに・・邪魔。


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“ビートルズを武道館で観た”お二人(山本唯夫さん、長田泰子さん)と
二人に挟まれた人はリンゴか?(スーパー・)マリオか!?
決してジョンではなさそう・・



 先月リンゴ広島公演行ってまいりました。山本さんに手配していただいたチケットはさすがの前から7列目(何たってビートルズ武道館チケットを当時20枚も押さえた人ですから)。にもかかわらずコンサート始まるや皆さん即総立ちで、数メートル先で繰り広げられている凄い人のライヴもかろうじて見えたり見えなったり・・。2時間近い棒立ちは正直60代のおじさんにはキツイものがあるのですが(隣でずっと座ってたオジサンも気になったけど)、そんなこと言ってられません。何たって76才のリンゴが、2016年に目の前で演奏して歌ってくれているのですから!それだけでも凄い事です。頭は白髪になり顔はしわだらけになってドラムの腕はそれなりに落ちても、変わらないもの。5体のバランス、歩き方、ビートを刻むアクション、そして歌声!ビートルズの曲を歌う時のリンゴは最高です。特に感激したのが「WHAT GOES ON」。かえすがえすリンゴの声にピッタリの、コーラス・バックアップの効きたナイスな曲であると再確認したのであります。ライヴ全般を通してリンゴの陽気さがビンビン伝わって来る、何とも心地よさ満載のコンサートでありました。翌日には東京からリンゴのコンサートを観に広島に来たという方が来店。ポールのコンサートは何と70回は観てるとのこと。凄い人もいるもんです。でもビートルズ・マジックにとり憑かれた無限とも言える人達のこうした熱狂に、元ビートルのお二人は励まされ支えられているのでしょう。そして70代のロッカーとして、しっかりと“最良の形で”その期待に応えてくれています。







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 既に年末オークションに向けて準備進めています。28年目となる今年、景気づけにレココレ広告も来月号で予定しています。今年は和モノに比べて洋楽はちょっと寂しい状況ですが、タイムリーなことにボブ・ディランの初期コロムビア盤シングルが揃っています。デビュー盤「ホームシック・ブルース」は今回ありませんが、ここまで揃ってリストするのも初めてかもしれません。ということで「風に吹かれての命名者」というお題を考えてみました。これまで「リバプール・サウンドの命名者」、それから繋げる「ノルウェーの森の命名者」と挑戦してきて、いずれも頓挫したままの「命名者」シリーズ。「リバプール・サウンド」は④まで、「ノルウェーの森」は予定していて結局繋げずじまい。このネタに関しては、BP_JRGさんのブログにかなり詳しく書かれていますので参考にしていただければと思います。私が目をつけていたワン・ポイントは、「ミュージック・ライフ」66年4月号(4月1日発売)の「ラバーソウル」の新譜LP紹介コーナーです。このレビューに“A-②「ノーウェジアン・ウッド」(ノルウェーの森)で見せるジョンのフォーク・ロック的な味わい”と書かれているんですね。この原稿は3月中旬以前には出来上がっていたと思われることから、テイチクのキングストン・トリオ「ノルウェーの森」発売より4ヶ月も早い時期ということになります。レビュアーは無記名となっていますが(それ以前は木崎義二氏が主に担当)、既に東芝内部でこの邦題が確立されていたことをほのめかしています。少なくともテイチクの洋楽担当ディレクター、ましてや解説者である高山宏之氏でないことははっきりしました。しかしながら唯一「ノルウェーの森」と明記された4曲入りEP<OP-4198>(66年12月発売)のみを例外として、東芝のLPではその後も基本的に「ノーウェジアン・ウッド」のタイトルに拘り続けています。その原因は何なんでしょうか(これも二重構造?)。謎です。







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ピーター、ポール・アンド・マリー/「風に吹かれて」<東芝7B-26>

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やはり“フーテナニー”のオムニバス盤収録なら「風に吹かれて」しかないでしょう。

本国では63年8月にシングル・リリースされた「Blowin’ In The Wind」ですが、ディランのシングルは当時日本では発売されておらず、ファースト・シングルの「ホームシック・ブルース」ですら発売されたのは65年6月のことでした。ディランの「風に吹かれて」は、「ライク・ア・ローリング・ストーン」のB面として本国発売から2年以上も後の65年10月に発売されています。音源そのものは64年4月発売のオムニバスLP「オールスター・フーテナニー」<YS-320>にも収録されていますが、まだ日本では“フォーク・ブームに登場したシンガーの一人”としての認識でしかなかったようです。「風に吹かれて」の邦題が最初に使われたレコードは、ピーター,ポール・アンド・マリー(以下PPM)のシングル盤と思われます。PPMの「風に吹かれて」<7B-26>(63年9月発売)の解説はしっかりと普通に書かれているにもかかわらず、何故か無記名になっています。その前に発売された国内初シングルの「パフ」<7B-23>では解説者が高崎一郎氏となっており、例によってお得意の一口訳詞が書かれています。

不思議なドラゴン、パフ
ハナリー島の青い海、秋もやの中に住んでいるパフ
小さな子供は皆パフが好き
オッカニ海賊もパフが一声ホエればすぐ退散さ


カヴァー曲の場合は洋楽担当ディレクターが主に邦題をつけていると思われますが、例外的に楽曲登録その他出版物での記述が先行すること等も考えられ、「風に吹かれて」のシングルに解説者が明記されていないことも妙に気になります。フォーク・サイドに立った文体から推測すると高崎一郎氏ではないような気もするのですが、何故か一口訳詞もちゃんと書かれています。無記名者の訳詞はこうです。

人はいかほどの苦悩を乗り越えねばならぬのだ
白い鳩はいつになったら安息出来るのだ
あの恐ろしい爆弾はいつまで飛び交し続けるのだ
答は、友よその答は、風の中で吹き荒んでいるのだ








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ブロードサイド・スリー/「フォークソング・ベスト・ヒッツ」<JPS-5037>


 視点を変えて国内アーティストのカヴァーに目を向けてみましょう。レコード化された最古のものは、ブロードサイド・スリーのLP「フォークソング・ベスト・ヒッツ」<JPS-5037>(65年5月)に収録された「風に吹かれて」ではないかと思われますが、これはオリジナルの英語詞となっています。英語詞なら、これ以外にもソノシートで人知れずマイナーな誰かさんが歌っているものがあるような気もします。ところがどっこい、訳詞盤となるとこれが意外や意外なかなか見つからないのです。やっと浮上してきたのが以下の2枚です。


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紀本ヨシオ/風に聞いてくれ<EB-7237>63年10月

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守屋浩/風が知ってる<CW-490>66年6月

それぞれ「太陽は傷だらけ」と「太陽を胸に」のB面で、共に“「太陽」の陰に隠れていた異タイトル曲”というのが何とも・・。ちなみに守屋浩の「風が知ってる」の訳詞は野上彰。ビートルズ研究家、藤本国彦氏のお父様であります。ビートルズが来日した66年6月の発売というのがシビレます。今ではすっかり定着してしまった「風に吹かれて」というタイトルでの当時の訳詞盤がほとんど見つからないというのは考えてみたら不思議なことでもあり、そこに何かヒントが隠されているような気もします。やっと見つけたのが何と弘田三枝子。

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弘田三枝子/“ミコ・フォークを唄う”EP<JSS-53>66年7月


どれだけ道を歩くだろう
大人になるまでに
いくつの海を越えるだろう
鳩が憩うまで
いくたび弾丸は飛ぶのだろう
平和になるまでに
友だちの答えはいつも
風に吹かれてるの

           吉村あきら 訳詞(歌詞カードには“作詞”と記述)







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真保さんとの出会いはこの雑誌がきっかけです。

 以前より懇意にさせていただいているカントリー評論家の真保孝さんに、60年代のシングル曲の邦題について訊いてみました。真保さんは、ジョニー・キャッシュをはじめとして、ビル・ヘイリーのカントリーLPに至るまで、C&Wのライナーを60年代に大量に書かれています。

「カントリーとは違うんですが、ボブ・ディランの『風に吹かれて』というタイトルはレコードの解説者が付けた可能性はあるんでしょうか?」
「解説はレコード会社から届いた資料や音源を参考にしていて、その時点ではタイトルはまだ原題のままです。邦題は発売になるまでにレコード会社が考えていたと記憶しています。」
「やっぱりそうですか。それじゃあ『風に吹かれて』も東芝の洋楽担当ディレクターなんでしょうか・・。」
「よく分からないですね。ボブ・ディランはカントリーとは違うんですが、われわれの仲間でも当時結構話題で、63年に創刊した『カントリー&ウエスタン』という雑誌の確か2号か3号の表紙にしたことがあります。私は書きませんでしたが、誰かが記事を書いているはずです。」
「そこに『風に吹かれて』という記述があれば、ひょっとしたらPPMのレコードより早いかもしれませんよ!」

「Blowin’ In The Wind」の歌詞は、レコーディングする前に雑誌「シング・アウト!」にディランのコメントとともに掲載され注目されたと言われています。日本でも出版物先行の邦題は考えられないこともない気がします。ディランのノーベル文学賞受賞で大きくクローズ・アップされてしまった「風に吹かれて」というタイトル。しかしながら、あまりにつかみどころのない「風に吹かれての命名者」というテーマ。考えてみたら邦題の命名者なんて、一般的には今更分かっても“それがどうした”的なことなのかもしれません。大滝詠一は「詠み人知らず」のような歌が作れることを願ったと聞いたことがあります。「答えは、風OOOOO」なんてヤボな締めだけは遠慮させていただきますが、この曲に関したら、風に吹かれたままの状態もそれはそれで素敵なことのように思えてきました。





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この2枚はカヴァーではなさそうですが・・

プロテストの歌こそが“愛の歌”

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米ニューヨーク北部のストームビルのフリーマーケットに出た80年代に作られたGIANT BEATLES RECORD。最近になって海外メディアが「世界一デカいレコード」と紹介したため、再び話題になったとのこと。
皆さんやはりBIGなオブジェはお好きなようです。





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 おかげさまで「ビートルズ来日&カープ優勝記念セール」無事終了しました。1階と2階合わせて3箱近く買われた方もいらっしゃいましたが、1階のLPは半額の400円となるわけですから“ 400円 x Y 枚= LOVE ”的な、ちあきなおみもビックリの愛溢れた奉仕価格なのであります。かと思えば2階でもCDは半額としていたため、それまで売れずにどんどん値下げして800円となっていたクリムゾンの新品紙ジャケCDも400円。これらのCDはかつて卸から定価の7割で仕入れていたもので、1枚売れるごとに1200円の赤字。まとめて5枚買っていただきました。ジェットスター航空を紹介するテレビ番組で、お笑いのオードリー春日があまりに格安な料金設定にあきれて宣伝部の女性に対し「バカなんですか?」って声かけていましたが、私も言われそう。

「バカなんですか?」

さらにAMAZONでダブって2セット買ってしまって、1セット新品のままCD棚に置いていたビートルズの「JAPAN BOX」。これも見事売れて半額の7500円。

「(本当に)バカなんですか?」
まあ48000円の高額LPも勢いで売れたし、いいんです。トータルで儲かっていれば・・、ね。(儲かってんのかな?)






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これも巨大LPオブジェの影響か?(今月カリフォルニア州で開催された「デザート・トリップ」フェス会場にて)
裏はどうなっているのやら・・。
知人のFacebookに3ヶ月前掲載されたオブジェ画像に海外から「Perfect!」のコメントが入っていたけど、
影響の可能性は0.5%でしょう。(決して0とは言わないレコード・バカの意地)







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目下オークション準備中で、「ディラン・ノーベル文学賞受賞&カープ日本一記念セール」の予定はありません。
あしからず。


 忘れていた頃にやってきた今回のディラン・ノーベル文学賞受賞ですが、「ボブ・ディランって誰?」の反応が若者には圧倒的だったようです。ちょうどこの前「エルヴィス・プレスリー知ってたのは、100人中7人」のブログ書いたばかりなのでさすがにそれほど驚きはしませんでしたが(賢くなった)、半年前名古屋でライヴ観たばかりの身としてはちょっと淋しいものがあります。来日したら国民に認知されるというのは遠い昔の話。今ではあまたいる来日アーティストの一人でしかないわけですから。賛否両論あり本人の式典出席も危ぶまれていますが、単純に古くからの洋楽ロック・ファンには嬉しい限りです(でもライヴ会場で買ったTシャツ、何か今は逆に気恥ずかしくて着にくくなったなあ)。






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さっそく発表のあった翌日NHKの「ニュース・ウォッチ9」でも取り上げられ、初来日の記者会見の映像が流されていました。ディランの回答は常に一言だけです。

「一般に“フォークの神様”と言われていますが、そのことについてはどう思われますか?」
「私はフォークの神ではありません。」
「では何ですか?」
「ただの人間です。」

この映像は当時NHKで放映された「ルポルタージュにっぽん ボブ・ディランがやって来た」からピック・アップされたものですが、
実は先日の放送で重要な会話が欠落していました。こんなやりとりもあったのです。

「かつては反戦歌、いわゆるプロテスト・ソングを主に歌われていたと思うのですが、愛をテーマにされた心境の変化というのは?」

「プロテストの曲が、自分の一番素晴らしい愛の歌だと思っています。」

カッコえ~!


若き村上龍(26才)がルポするこの番組、おそらく受賞をきっかけに再放送されるのではないでしょうか。








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ジスボーイの入り口通路壁面のパネル(初来日会見でも使用されたもの)
先週レコード売りに来られた家族が査定待ち時間に「よ」「ろ」「し」「く」「と」と子供に文字を読ませていたけど、ママはおそらくボブ・ディランを知らなかったのではないか、と今気づいた。
菅田ビル3階に住むMちゃん(11才)は、このパネルを毎日横目で見ながら小学校に通っている。



 78年の初来日公演には私も大阪まで出向き参加しましたが、コンサートの影響で友人代表祝辞を依頼されていた親友の結婚式に遅れるという(名誉ある)失態をしでかしてしまいました。でも今から考えると、ディランを言い訳にすることにちょっぴり酔った青い自分がいたんだと思います。歌詞を吟味するようなファンでは決してなく、席も悪かったこともあってライヴそのものは“もやもやとしたロック・コンサート”だった印象しか残っていないのが何よりの証拠です。10代はビートルズの影響がとにかく大き過ぎて「歌詞なんかどうでもいい」派だったため、70年代になって好きになったディランもロックとして聴いていた気がします。メロディー・ラインも本当にいい曲が多いんですよね。

そんなディランですが、若い頃はよく家出をしたと言われています。若きディランにあこがれて吉田拓郎も学生時代に家出をした、とウィキペディアに書かれてありました。そういえば浪人時代の浜田君も呉駅の前で当時会った時、「京都に家出していた。」と私に話してくれたことがありました。でもそう語った浜田君の表情に、何気に誇らしげなものを感じてしまったことも覚えています。それはきっと、その時の私に浜田君の行動力に対する嫉妬のような感情があったからなのでしょう。


ディランは家出についてかつてこう語ったと何かの本で読んだことがあります。

「家出なんて簡単さ。家を出ればいいんだ。」


エルヴィス・プレスリーって知ってますか?

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せめて「エルビス」は「エルヴィス」と表記してほしい、なんて話じゃないでしょう。


 先日「マツコ&有吉の怒り新党」というテレビ番組を見てたら、CDショップ店員(21才)が「60代と思われる男性にプレスリーも知らないのか、バカタレ!」と怒られたというメールを紹介していました。私(64才)も言いましょう。


  バカたれ!!



7人

そこで番組スタッフが渋谷の10~20代にプレスリーを知っているかを調査すると、何と知っていたのは100人中7人だった、という現実。プレスリーを知らないCDショップ店員許せる?のアンケートでは、許せるが83.6%で生まれる前の情報を知るのは難しいなどの意見が多かったとのこと。その後、学生時代にアメリカ留学していたという青山アナが人気ミュージシャンを聞かれ、「コールドプレイ」と一言。7000万枚売り上げたヒット曲があるバンドだという。私は知りません。青山アナもほほえみながら心で叫ぶでしょう。

 バカたれ!










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Tシャツはポール真っ赤ートニー

 先週関東方面からの来客二人を連れて広島市内に繰り出したところ、街は正にカープ一色。巨大10倍LPオブジェをトラックに積んで凱旋した広島銀行の本店前にも、とんでもない巨大垂れ幕が。25年ぶりの優勝にあやかった、25倍のポスター垂れ幕とのこと(負けた)。きっとLPオブジェに刺激されたのでしょう。何たって現頭取の池田君(この君付けは、ほぼ完璧に近い“増えた親戚”呼称)は、同じ大学からの77年同期入行5人組の一人。音楽の話も出来る好青年でした(エルヴィスだって知ってるもん!)。私は入行から10年近くして後、見事ドロップ・アウト。半年前、銀行員時代にお世話になったI支店長から「断捨離で家を整理してたら、レコード出て来たけどいるか?」という電話がありました。I支店長は退職後ダイソーアオヤマの社長まで昇りつめた人で顔が広く、池田君とはかつて同じ地区の大先輩でもあったようです。

「そういえばこの前池田君に会った時、菅田君のこと聞いてみたぞ。」
「覚えてないでしょう?」
「いや、“彼は中古レコード店をしてるみたいです”とか言っとった。」

というわけで、巨大垂れ幕は巨大LPオブジェからインスピレーションを受けた、と5%の確信を抱いている次第であります(少ね~)。



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公式応援歌「それ行けカープ」を歌うのは、地元安芸津町出身の南一誠君(コロムビア・レコード所属)。結婚式の司会もしてくれた彼が人生で初めて人前で歌ったのは、私とのデュエット曲「きらきら星」(幼稚園時代)。
















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ウインドウちょっぴり小奇麗にしました。取手はカープ優勝を記念して赤に。


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半年前に神奈川・愛知から来店されたアナログレコード・ファンクラブ会員さん達との談笑で出て来た「かんだ米穀店を世界遺産に」のギャグ発言を真に受け、調子に乗って店名シートまで・・(バカたれ!)。


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このシートが効いたのか、先日見事に四半世紀ぶりに「黄金のSFXナンバーDO IT ROCK」群の買取が成立。25年前はデヴィッド・ボウイの「この世を売った男」の帯付までありました。まだ残りがあったようです。今回はちょっぴり日本人ジャズ等もありました。何はともあれ、四半世紀ぶりに声をかけていただいたことに心から感謝です。





PS
カープ優勝記念して、ささやかなセールを。
10月5日(出戻り移転2周年)~18日

2F
ジスボーイ 及びネット掲載商品 25%引(25年ぶりの優勝)
ただしネットの委託商品◆は7%引(V7)
1F
かんだ米穀店リサイクル部 50%引(ビートルズ来日50周年)

*詳細は後日お知らせします。 

When I’m Sixty-Four

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私たちは巨大オブジェのふもとにたどり着いた遊牧民か?

  気が付いたらこんなもの作ってしまいました。何がどうしてこうなったのか。ただ単純に「ビートルズ来日50周年」を迎えてしまったということに尽きるのですが、半世紀も己の生きてゆく糧であり続けてくれたことに対する再確認。何かしたい。想うだけでなく、“DO”したかったんですね。






りばぷーる
25年近く前、広島ブルージーンズでライヴしたこともあります。

 ことの発端はこうです。出戻り移転して2度目の春を迎え考えました。ジスボーイをオープンして22年。でもわが商売の基本は、この安芸津町で28年前の夏にスタートした通販レコード・オークションをベースとして成り立っています。それは28年間一貫しています。全国を買取で駆けずり回り大好きなレコードとの出会いに一喜一憂してきた日々は、それなりに影での苦労はあったものの、音楽バカにとっては何ともシアワセなことだったのではなかろうかと感謝しています。一方地元の安芸津町に目を向けてみると、相次ぐ市町村合併の流れを受けて、11年前にはそれまで半世紀近く続いていた「豊田郡安芸津町」から「東広島市安芸津町」に名称変更し、その後は過疎化路線をまっしぐら。「旧OO郡OO町」と「旧OO市OO町」は同じ“町”でも、我々旧郡町人?にはそれなりの地域文化を担っていた誇りのようなものが残っているんですね。東広島市そのものは全国的にも人口増加が目立つ躍進学園都市ですが(ゆえにジスボーイはその中心地でスタートしたのです)、当然のことながら中心部への予算配分がメインで旧郡町はどんどん活気を失っているのが現状です。出戻り移転後に来店されるのも、お店がマニアックなだけに半分近くが市外からのお客さん。でも自分なりに何か地元の活性化に貢献出来ることはないものかと考えていた矢先、ガソリン・スタンドのオーナーMさんが発した一言が私に火をつけました。「アビイ・ロードを作ろうと考えてるんです。」よくよく話を聞いてみたら、駅前をアビイ・ロードと似た街並みに作り変えてみたい、ということでした。当然町おこしの一環としてなのでしょうが、「造園業者も同じ樹木を植えるため県土木への申請を考えている」とかなり具体的な内容のものでした。いろいろ問題も抱えているようですが、「ビートルズを絡めた町おこし」の発想をする人が同じ町内にいたことにどれだけ私が勇気づけられたことか。考えてみたら、町内にはビートルズ好きの初代オーナーが作ったレンガ造りの「りばぷーる」という喫茶店があったりもします。まあビートルズに拘ることはないけど、レコード・ネタで何かやってみよう、そう決心しました。






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 隣接した呉市という街に、「大和ミュージアム」という呉が生んだ世界最大の戦艦「大和」を中心に近代日本における造船・科学技術を紹介する海事歴史科学館があります。入場者は年々増え続け、今では年間100万人を超える集客を誇っています。オープンして10年を過ぎていますが、いつでも行けると考え未だ足を運んだことがありませんでした。遠方からの来客に地元の観光スポットを紹介するためにも一度見ておく必要があると考え、懇意にしている知人二人が東京から来店した際一緒に出掛けてみることにしました。このミュージアムの売りは、何といっても10分の1スケールの戦艦大和モデル。館内でこれをジーっと見ていてあるひらめきが・・。「ようし、これを逆手にとって10倍のレコード看板を作ってやろう!」






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 60年代音楽専門店を意識した具体的なジャケットを思いつき、地元の看板塗装屋のNさんに話を持って行ったところ、「商工会を通じで補助が出る制度がありますよ。」とのこと。よく聞いてみると中小企業の集客援助資金で最大50万円まで補助が出る制度のようでした。ただし申込期限が近づいていてすぐに申請書出さないと間に合わないとのこと。商工会とも相談し慌てて書類仕上げました。実際のところこんなキワ物企画が通っても即効果が出るとは考えられませんでしたが、町の活性化のきっかけとして幾らかでも貢献出来ればと開き直りました。“奇抜さが収益に反映しにくい立地&業種”というポイントに注目しました。それならいっそ看板ではなくビートルズの記念オブジェを作って限定的に飾ってみたらどうだろう。そこで目を付けたのが来日記念盤の「ステレオ!これがビートルズVOL.1」<OP-7548>。これが発売されたのが50年前の6月25日。とここで私の「発売日魂」と「とことん拘り魂」が発火します。さっそくNさんに報告。「両面と背表紙を拡大印刷し、それに帯を巻いた巨大LPオブジェに変更してほしいんだけど。本来の看板ジャケットは後から変えてもらったらいいから。で完成は6月25日。ということで、よろしく!」本当は何としてもこれを来日記念日の6月29日に掲げたかったんですが、審査の合格通知以前に掲示したら補助資金は出ないとのことで、結果が出る7月中旬まで待つことにしました。





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ビートニューズのステージ(1965年!) 
対バンのバチェラーズがこの日アップ・テンポの曲中心だったため、
ビートニューズは「ガール」「ジス・ボーイ」等スローなナンバーで攻める。


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「オール・マイ・ラヴィング」を熱唱する山本さん

 NHKBS特番「ビートルズ・フェス」の“地方から武道館公演を観に行った人を探している”という企画依頼を通じて知り合った長田泰子さんが、来日50周年を記念したビートルズ・パーティーをするという話を聞きつけました。「群馬から女子高生一人で観に行ったけど、学校に知れたら退学になると思って親子で長年その事実を封印していた」という長田さん。彼女がパーティー会場として選んだのが江田島にある「ETTA JAZZ CAFE」。このオーナーもビートルズ好きという噂を聞いて会いに行くことに。「どうせ得意気にリアルタイマー風を吹かせてるオヤジだろう」とナメてかかってたのですが、会ってみると何とこれが正真正銘のホンモノ。「僕も当時東京の大学生で、武道館に行ってるんですよ。女性グループのコンサート(ニュー・クリスティー・ミンストレルズのこと?)との抱き合わせで20枚事務所からチケットを手に入れ、その中から各メンバーの立ち位置に一番近い席を選んで4公演観ましたよ。斜め後ろから見たリンゴのバスドラのビートは強烈だったし、ジョンの唾が飛ぶのもよく見えました。」とおっしゃるオーナーの山本唯夫さん(68才)。凄すぎる!自宅は拓郎の3軒隣で、高校時代はバチェラーズ(拓郎在籍)と対バンで演奏してた元ビートニューズのベーシスト。ステージ写真も見せていただきましたが、これが当時としては珍しいほぼ完璧な初期ビートルズ・スタイル。「バチェラーズはR&Bバンドだったからね。」と、自らのビートル・フリークぶりを強調。こんな人に歯が立つわけがありません。いくらビートルズ日本盤ネタを振りまいても、「あっ、そう。」で終わり。そんな山本さんに、例の巨大オブジェのことを話してみました。

「それはそうと、来日50周年記念で10倍のレコード・オブジェを作ったんですよ。」
「?? そりゃ凄い!」
「25日のパーティーで持って来ましょうか?」
「やりましょう!」







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 25日当日の朝がやって来ました。ドンピシャ25日に最終仕上げを施し完成した巨大オブジェ。看板屋に到着したら2トン・トラックにきちんとセットしてありました。友人Sさんの運転で、女房と3人目的地江田島に向けていざ出発!広島市内を通過して、宇品のフェリーに乗り込む計画をそのまま実行しました。市内の繁華街を通過する時は、さすがに「ビートルズ来日50周年」を祝う親善大使のような気分でした。これを目にしたビートルズ・ファンと思しき方達の反応は特に顕著で、よく騒乱(誘導)罪で訴えられなかったと胸を撫でおろしております(冗談です)。会場到着後は、みんなで協力し合って荷を解き(これが結構大変なんです)、メイン・ステージに無事セット完了。コピー・バンドのアコギ・カヴァーを聴きながら、会食、ビートルズ談義と、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。巨大オブジェは、失笑を含みつつも、とにかくみんなをハッピーな気分にしてくれることを確信したのでありました。





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孫をいたわるかの余裕あるラブリー山本さん(私もジジイですが)

 で、援助資金の結果ですが、これが見事不合格。本年度になって制度のことが知れ渡り、応募が急増したのが原因だったようです。まあこれで誰にも遠慮することなく、堂々と掲げることが出来ます(負け惜しみ?)。ということで、本日8月16日で無事64才の誕生日を迎えたことをビートルズ関連日として設定しました。遥か昔「When I’m Sixty-Four」を初めて耳にした高校生だった頃、とても予想も出来なかった老いぼれた己の姿。「When I’m Sixty-Four」と来日50周年が重なった偶然。援助をあてにしてちょっっぴり凝ってしまった分余計に経費がかかってしまいましたが、個人的にもいい記念イベントが出来たと満足しております。いずれ本来の巨大LP看板にとって変わりますが、しばらくはこのままで。それでなくとも奇妙なお店なのに、これでさらに「珍百景ショップ」としての磨きがかかりました。

祝来日50周年!










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変顔する孫達に囲まれた(変顔に見える)私

ビートルズ国内デビュー曲の謎⑩

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「64年の突然変異」とは、
真に究極のキャッチ・コピーではないでしょうか。


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裏面のカレンダー


  ここに国内デビュー直後東芝が配布したビートルズの販促物があります。これは前回のブログで紹介させていただいた村岡さんがお持ちだったもので、ちょうどレコード店に就職したばかりの頃お店のカウンター・ケースの上に大量に置かれていたとのことです。シブヤ楽器店はメーカーとの直接取引だった関係で、当時この手の販促物がいろいろと届いていたと言われています。裏面に“「ビートルズ!」絶賛発売中!”の宣伝文句があったり、シングル盤リストが「ツイスト・アンド・シャウト」まで掲載されていることから、これが4月中旬~下旬にかけて配布されたものであることが分かります。そして表に書かれたシングル盤リストは、「抱きしめたい」→「プリーズ~」の順列になっています。さらに大村本でも、読売新聞4月11日夕刊の東芝広告に同等の順列が確認出来ました。64年4月の段階で、東芝は既にこの順列を示していたということです。これらは、東芝が「抱きしめたい」をデビュー曲として認識していたことの有力な証拠と言えるのではないでしょうか。

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読売新聞4月11日夕刊の東芝広告



高橋克彦さんはこう反論されます。
「菅田さんが根拠として挙げている東芝の認定はすべて3月以降に出されたものですよね。とすれば並べ順はそのときの売り上げ状況によって定めたものかも知れず、 (中略) たとえば当時のレコジャケの背面にしばしば記載される東芝のヒットレコード紹介で、歌手別の並べ順など見るとクリフリチャードはレコード番号の前後など無視して売れている順に記載されていたりします。売る側としては一押しを先頭に持ってきたいのは当然のことで、ボケツトカレンダーの並べ順で「抱きしめたい」が早い発売と断じるのは根拠として弱いのではないでしょうか。それよりは一番大切な商品であるはずの「抱きしめたい」のジャケットに「プリーズ」が第一弾と(*一貫して)はっきり断じている方が重要と私は思います。」 *菅田追記




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東芝月報64年5月号に掲載された広告

さすがに説得力あります。しかしながらレコード会社が示した当時の記録を戸籍として捉えるなら、私にとって何より決定的だったのが、「東芝月報5月号」に掲載されていた“売り切れ近いビートルズのデビュー盤 ●抱きしめたい”のちっちゃな広告でした。「誰が何と言おうと、当時東芝が示しているのだから「抱きしめたい」がデビュー曲なのだ」と信じていました(以前ちらっとブログでも「抱きしめたい」派であると書きましたが)。ですから大村さんから初めて“2月5日「プリーズ~」・10日「抱きしめたい」発売”の新聞記事のことを聞いた時も、「新聞編集者がレコード番号から勝手に判断して、東芝からの告知を間違って逆にして記事にしたのだろう」と漠然と考えていました(東芝の二重構造に気づくまでは)。しかしながらここまで検証を重ねてゆくと、実態は「プリーズ~」が早く出回っていたことは分かるし、当時の新聞記事の発売日に俄然リアリティーを感じるのも確かです。ただし現段階ではその発売日を証明するレコード会社の資料等は発見されておらず、現況は“「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」3月5日発売”のままであるという如何ともしがたい現実。


高橋さんの意見はこうです。
「「プリーズプリーズミー」を第一弾と記して、しかも「好評発売中」と刷り込んであるからには、「抱きしめたい」の発売は最速でも同時発売と見なすのが正解ではないでしょうか。たとえわずか5日程度「抱きしめたい」が早かったとしても、店頭にその「プリーズ」がなければ大騒ぎとなったはずです。東芝にも問い合わせが殺到したことでしょう。そういう不手際がファンのだれ1人にも記憶がないなど考えられません。注目度が高かったビートルズのことですから、マスコミもその不手際を指摘したに違いありません。私の見解は2月5日か10日の同時発売説です。

また「抱きしめたい」をデビュー盤と(*月報に)明記しているのも、仮に同時発売であったとすればまんざら嘘にはならないわけで、東芝自体もビートルズ旋風に巻き込まれて混乱状態にあったと思われます。しかし、ここまで(*発売日の特定が)錯綜すればどちらがどちらでも構わないような気がしてきました。続けざまに二枚が発売された、でいいような。」 *菅田追記


“店頭にその「プリーズ」がなければ大騒ぎとなったはず”という推測こそは、「プリーズ~」の3月5日発売が絶対あり得ないことを証明する最大の着眼点ではないでしょうか。また「続けざまの同時発売」という考え方は、“モヤモヤとしたビートルズ国内デビュー盤の現状”に対するモラルある解釈とすら感じてしまいます。「どちらにもデビューを認めてあげよう」「軍配は~、引き分け!」とても言わんばかりの。(実際のところ、初期ビートルズに同時発売は多い)






音工7041ハガキ
Nさんに届いた東芝からの回答ハガキ

  ビートルズ来日50周年の今年、「ビートルズと日本」が出版された意義はとてつもなく大きい気がします。この本を紹介することによって、ビートルズ国内盤の発売日問題が日本経済新聞やヤフー・ニュースでも取り上げられることになりました。日経の記事でも触れられていたデビューLPの発売日に対する回答ハガキ(筆跡は高嶋氏?)。こういったものを表に引き出してくれるメディアの力。来日50周年をきっかけとして盛り上がったビートルズ日本研究。今後もこの気運を絶やすことなく継続し、回答ハガキのような貴重資料を発掘して行きたいものです。たとえ今が仮に47年前の曖昧なソースを元にしたデビュー曲定説となっていても、レコード会社の認識一つで定説が変更して行くのなら、今後の意識変革に期待するのもありでしょう。そういう土台は、来日50周年をきっかけに出来上がったと感じています。
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thisboy1994


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