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エルヴィス・プレスリーって知ってますか?

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せめて「エルビス」は「エルヴィス」と表記してほしい、なんて話じゃないでしょう。


 先日「マツコ&有吉の怒り新党」というテレビ番組を見てたら、CDショップ店員(21才)が「60代と思われる男性にプレスリーも知らないのか、バカタレ!」と怒られたというメールを紹介していました。私(64才)も言いましょう。


  バカたれ!!



7人

そこで番組スタッフが渋谷の10~20代にプレスリーを知っているかを調査すると、何と知っていたのは100人中7人だった、という現実。プレスリーを知らないCDショップ店員許せる?のアンケートでは、許せるが83.6%で生まれる前の情報を知るのは難しいなどの意見が多かったとのこと。その後、学生時代にアメリカ留学していたという青山アナが人気ミュージシャンを聞かれ、「コールドプレイ」と一言。7000万枚売り上げたヒット曲があるバンドだという。私は知りません。青山アナもほほえみながら心で叫ぶでしょう。

 バカたれ!










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Tシャツはポール真っ赤ートニー

 先週関東方面からの来客二人を連れて広島市内に繰り出したところ、街は正にカープ一色。巨大10倍LPオブジェをトラックに積んで凱旋した広島銀行の本店前にも、とんでもない巨大垂れ幕が。25年ぶりの優勝にあやかった、25倍のポスター垂れ幕とのこと(負けた)。きっとLPオブジェに刺激されたのでしょう。何たって現頭取の池田君(この君付けは、ほぼ完璧に近い“増えた親戚”呼称)は、同じ大学からの77年同期入行5人組の一人。音楽の話も出来る好青年でした(エルヴィスだって知ってるもん!)。私は入行から10年近くして後、見事ドロップ・アウト。半年前、銀行員時代にお世話になったI支店長から「断捨離で家を整理してたら、レコード出て来たけどいるか?」という電話がありました。I支店長は退職後ダイソーアオヤマの社長まで昇りつめた人で顔が広く、池田君とはかつて同じ地区の大先輩でもあったようです。

「そういえばこの前池田君に会った時、菅田君のこと聞いてみたぞ。」
「覚えてないでしょう?」
「いや、“彼は中古レコード店をしてるみたいです”とか言っとった。」

というわけで、巨大垂れ幕は巨大LPオブジェからインスピレーションを受けた、と5%の確信を抱いている次第であります(少ね~)。



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公式応援歌「それ行けカープ」を歌うのは、地元安芸津町出身の南一誠君(コロムビア・レコード所属)。結婚式の司会もしてくれた彼が人生で初めて人前で歌ったのは、私とのデュエット曲「きらきら星」(幼稚園時代)。
















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ウインドウちょっぴり小奇麗にしました。取手はカープ優勝を記念して赤に。


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半年前に神奈川・愛知から来店されたアナログレコード・ファンクラブ会員さん達との談笑で出て来た「かんだ米穀店を世界遺産に」のギャグ発言を真に受け、調子に乗って店名シートまで・・(バカたれ!)。


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このシートが効いたのか、先日見事に四半世紀ぶりに「黄金のSFXナンバーDO IT ROCK」群の買取が成立。25年前はデヴィッド・ボウイの「この世を売った男」の帯付までありました。まだ残りがあったようです。今回はちょっぴり日本人ジャズ等もありました。何はともあれ、四半世紀ぶりに声をかけていただいたことに心から感謝です。





PS
カープ優勝記念して、ささやかなセールを。
10月5日(出戻り移転2周年)~18日

2F
ジスボーイ 及びネット掲載商品 25%引(25年ぶりの優勝)
ただしネットの委託商品◆は7%引(V7)
1F
かんだ米穀店リサイクル部 50%引(ビートルズ来日50周年)

*詳細は後日お知らせします。 

When I’m Sixty-Four

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私たちは巨大オブジェのふもとにたどり着いた遊牧民か?

  気が付いたらこんなもの作ってしまいました。何がどうしてこうなったのか。ただ単純に「ビートルズ来日50周年」を迎えてしまったということに尽きるのですが、半世紀も己の生きてゆく糧であり続けてくれたことに対する再確認。何かしたい。想うだけでなく、“DO”したかったんですね。






りばぷーる
25年近く前、広島ブルージーンズでライヴしたこともあります。

 ことの発端はこうです。出戻り移転して2度目の春を迎え考えました。ジスボーイをオープンして22年。でもわが商売の基本は、この安芸津町で28年前の夏にスタートした通販レコード・オークションをベースとして成り立っています。それは28年間一貫しています。全国を買取で駆けずり回り大好きなレコードとの出会いに一喜一憂してきた日々は、それなりに影での苦労はあったものの、音楽バカにとっては何ともシアワセなことだったのではなかろうかと感謝しています。一方地元の安芸津町に目を向けてみると、相次ぐ市町村合併の流れを受けて、11年前にはそれまで半世紀近く続いていた「豊田郡安芸津町」から「東広島市安芸津町」に名称変更し、その後は過疎化路線をまっしぐら。「旧OO郡OO町」と「旧OO市OO町」は同じ“町”でも、我々旧郡町人?にはそれなりの地域文化を担っていた誇りのようなものが残っているんですね。東広島市そのものは全国的にも人口増加が目立つ躍進学園都市ですが(ゆえにジスボーイはその中心地でスタートしたのです)、当然のことながら中心部への予算配分がメインで旧郡町はどんどん活気を失っているのが現状です。出戻り移転後に来店されるのも、お店がマニアックなだけに半分近くが市外からのお客さん。でも自分なりに何か地元の活性化に貢献出来ることはないものかと考えていた矢先、ガソリン・スタンドのオーナーMさんが発した一言が私に火をつけました。「アビイ・ロードを作ろうと考えてるんです。」よくよく話を聞いてみたら、駅前をアビイ・ロードと似た街並みに作り変えてみたい、ということでした。当然町おこしの一環としてなのでしょうが、「造園業者も同じ樹木を植えるため県土木への申請を考えている」とかなり具体的な内容のものでした。いろいろ問題も抱えているようですが、「ビートルズを絡めた町おこし」の発想をする人が同じ町内にいたことにどれだけ私が勇気づけられたことか。考えてみたら、町内にはビートルズ好きの初代オーナーが作ったレンガ造りの「りばぷーる」という喫茶店があったりもします。まあビートルズに拘ることはないけど、レコード・ネタで何かやってみよう、そう決心しました。






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 隣接した呉市という街に、「大和ミュージアム」という呉が生んだ世界最大の戦艦「大和」を中心に近代日本における造船・科学技術を紹介する海事歴史科学館があります。入場者は年々増え続け、今では年間100万人を超える集客を誇っています。オープンして10年を過ぎていますが、いつでも行けると考え未だ足を運んだことがありませんでした。遠方からの来客に地元の観光スポットを紹介するためにも一度見ておく必要があると考え、懇意にしている知人二人が東京から来店した際一緒に出掛けてみることにしました。このミュージアムの売りは、何といっても10分の1スケールの戦艦大和モデル。館内でこれをジーっと見ていてあるひらめきが・・。「ようし、これを逆手にとって10倍のレコード看板を作ってやろう!」






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 60年代音楽専門店を意識した具体的なジャケットを思いつき、地元の看板塗装屋のNさんに話を持って行ったところ、「商工会を通じで補助が出る制度がありますよ。」とのこと。よく聞いてみると中小企業の集客援助資金で最大50万円まで補助が出る制度のようでした。ただし申込期限が近づいていてすぐに申請書出さないと間に合わないとのこと。商工会とも相談し慌てて書類仕上げました。実際のところこんなキワ物企画が通っても即効果が出るとは考えられませんでしたが、町の活性化のきっかけとして幾らかでも貢献出来ればと開き直りました。“奇抜さが収益に反映しにくい立地&業種”というポイントに注目しました。それならいっそ看板ではなくビートルズの記念オブジェを作って限定的に飾ってみたらどうだろう。そこで目を付けたのが来日記念盤の「ステレオ!これがビートルズVOL.1」<OP-7548>。これが発売されたのが50年前の6月25日。とここで私の「発売日魂」と「とことん拘り魂」が発火します。さっそくNさんに報告。「両面と背表紙を拡大印刷し、それに帯を巻いた巨大LPオブジェに変更してほしいんだけど。本来の看板ジャケットは後から変えてもらったらいいから。で完成は6月25日。ということで、よろしく!」本当は何としてもこれを来日記念日の6月29日に掲げたかったんですが、審査の合格通知以前に掲示したら補助資金は出ないとのことで、結果が出る7月中旬まで待つことにしました。





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ビートニューズのステージ(1965年!) 
対バンのバチェラーズがこの日アップ・テンポの曲中心だったため、
ビートニューズは「ガール」「ジス・ボーイ」等スローなナンバーで攻める。


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「オール・マイ・ラヴィング」を熱唱する山本さん

 NHKBS特番「ビートルズ・フェス」の“地方から武道館公演を観に行った人を探している”という企画依頼を通じて知り合った長田泰子さんが、来日50周年を記念したビートルズ・パーティーをするという話を聞きつけました。「群馬から女子高生一人で観に行ったけど、学校に知れたら退学になると思って親子で長年その事実を封印していた」という長田さん。彼女がパーティー会場として選んだのが江田島にある「ETTA JAZZ CAFE」。このオーナーもビートルズ好きという噂を聞いて会いに行くことに。「どうせ得意気にリアルタイマー風を吹かせてるオヤジだろう」とナメてかかってたのですが、会ってみると何とこれが正真正銘のホンモノ。「僕も当時東京の大学生で、武道館に行ってるんですよ。女性グループのコンサート(ニュー・クリスティー・ミンストレルズのこと?)との抱き合わせで20枚事務所からチケットを手に入れ、その中から各メンバーの立ち位置に一番近い席を選んで4公演観ましたよ。斜め後ろから見たリンゴのバスドラのビートは強烈だったし、ジョンの唾が飛ぶのもよく見えました。」とおっしゃるオーナーの山本唯夫さん(68才)。凄すぎる!自宅は拓郎の3軒隣で、高校時代はバチェラーズ(拓郎在籍)と対バンで演奏してた元ビートニューズのベーシスト。ステージ写真も見せていただきましたが、これが当時としては珍しいほぼ完璧な初期ビートルズ・スタイル。「バチェラーズはR&Bバンドだったからね。」と、自らのビートル・フリークぶりを強調。こんな人に歯が立つわけがありません。いくらビートルズ日本盤ネタを振りまいても、「あっ、そう。」で終わり。そんな山本さんに、例の巨大オブジェのことを話してみました。

「それはそうと、来日50周年記念で10倍のレコード・オブジェを作ったんですよ。」
「?? そりゃ凄い!」
「25日のパーティーで持って来ましょうか?」
「やりましょう!」







ob0.jpg 宇品フェリー
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 25日当日の朝がやって来ました。ドンピシャ25日に最終仕上げを施し完成した巨大オブジェ。看板屋に到着したら2トン・トラックにきちんとセットしてありました。友人Sさんの運転で、女房と3人目的地江田島に向けていざ出発!広島市内を通過して、宇品のフェリーに乗り込む計画をそのまま実行しました。市内の繁華街を通過する時は、さすがに「ビートルズ来日50周年」を祝う親善大使のような気分でした。これを目にしたビートルズ・ファンと思しき方達の反応は特に顕著で、よく騒乱(誘導)罪で訴えられなかったと胸を撫でおろしております(冗談です)。会場到着後は、みんなで協力し合って荷を解き(これが結構大変なんです)、メイン・ステージに無事セット完了。コピー・バンドのアコギ・カヴァーを聴きながら、会食、ビートルズ談義と、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。巨大オブジェは、失笑を含みつつも、とにかくみんなをハッピーな気分にしてくれることを確信したのでありました。





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孫をいたわるかの余裕あるラブリー山本さん(私もジジイですが)

 で、援助資金の結果ですが、これが見事不合格。本年度になって制度のことが知れ渡り、応募が急増したのが原因だったようです。まあこれで誰にも遠慮することなく、堂々と掲げることが出来ます(負け惜しみ?)。ということで、本日8月16日で無事64才の誕生日を迎えたことをビートルズ関連日として設定しました。遥か昔「When I’m Sixty-Four」を初めて耳にした高校生だった頃、とても予想も出来なかった老いぼれた己の姿。「When I’m Sixty-Four」と来日50周年が重なった偶然。援助をあてにしてちょっっぴり凝ってしまった分余計に経費がかかってしまいましたが、個人的にもいい記念イベントが出来たと満足しております。いずれ本来の巨大LP看板にとって変わりますが、しばらくはこのままで。それでなくとも奇妙なお店なのに、これでさらに「珍百景ショップ」としての磨きがかかりました。

祝来日50周年!










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変顔する孫達に囲まれた(変顔に見える)私

ビートルズ国内デビュー曲の謎⑩

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「64年の突然変異」とは、
真に究極のキャッチ・コピーではないでしょうか。


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裏面のカレンダー


  ここに国内デビュー直後東芝が配布したビートルズの販促物があります。これは前回のブログで紹介させていただいた村岡さんがお持ちだったもので、ちょうどレコード店に就職したばかりの頃お店のカウンター・ケースの上に大量に置かれていたとのことです。シブヤ楽器店はメーカーとの直接取引だった関係で、当時この手の販促物がいろいろと届いていたと言われています。裏面に“「ビートルズ!」絶賛発売中!”の宣伝文句があったり、シングル盤リストが「ツイスト・アンド・シャウト」まで掲載されていることから、これが4月中旬~下旬にかけて配布されたものであることが分かります。そして表に書かれたシングル盤リストは、「抱きしめたい」→「プリーズ~」の順列になっています。さらに大村本でも、読売新聞4月11日夕刊の東芝広告に同等の順列が確認出来ました。64年4月の段階で、東芝は既にこの順列を示していたということです。これらは、東芝が「抱きしめたい」をデビュー曲として認識していたことの有力な証拠と言えるのではないでしょうか。

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読売新聞4月11日夕刊の東芝広告



高橋克彦さんはこう反論されます。
「菅田さんが根拠として挙げている東芝の認定はすべて3月以降に出されたものですよね。とすれば並べ順はそのときの売り上げ状況によって定めたものかも知れず、 (中略) たとえば当時のレコジャケの背面にしばしば記載される東芝のヒットレコード紹介で、歌手別の並べ順など見るとクリフリチャードはレコード番号の前後など無視して売れている順に記載されていたりします。売る側としては一押しを先頭に持ってきたいのは当然のことで、ボケツトカレンダーの並べ順で「抱きしめたい」が早い発売と断じるのは根拠として弱いのではないでしょうか。それよりは一番大切な商品であるはずの「抱きしめたい」のジャケットに「プリーズ」が第一弾と(*一貫して)はっきり断じている方が重要と私は思います。」 *菅田追記




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東芝月報64年5月号に掲載された広告

さすがに説得力あります。しかしながらレコード会社が示した当時の記録を戸籍として捉えるなら、私にとって何より決定的だったのが、「東芝月報5月号」に掲載されていた“売り切れ近いビートルズのデビュー盤 ●抱きしめたい”のちっちゃな広告でした。「誰が何と言おうと、当時東芝が示しているのだから「抱きしめたい」がデビュー曲なのだ」と信じていました(以前ちらっとブログでも「抱きしめたい」派であると書きましたが)。ですから大村さんから初めて“2月5日「プリーズ~」・10日「抱きしめたい」発売”の新聞記事のことを聞いた時も、「新聞編集者がレコード番号から勝手に判断して、東芝からの告知を間違って逆にして記事にしたのだろう」と漠然と考えていました(東芝の二重構造に気づくまでは)。しかしながらここまで検証を重ねてゆくと、実態は「プリーズ~」が早く出回っていたことは分かるし、当時の新聞記事の発売日に俄然リアリティーを感じるのも確かです。ただし現段階ではその発売日を証明するレコード会社の資料等は発見されておらず、現況は“「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」3月5日発売”のままであるという如何ともしがたい現実。


高橋さんの意見はこうです。
「「プリーズプリーズミー」を第一弾と記して、しかも「好評発売中」と刷り込んであるからには、「抱きしめたい」の発売は最速でも同時発売と見なすのが正解ではないでしょうか。たとえわずか5日程度「抱きしめたい」が早かったとしても、店頭にその「プリーズ」がなければ大騒ぎとなったはずです。東芝にも問い合わせが殺到したことでしょう。そういう不手際がファンのだれ1人にも記憶がないなど考えられません。注目度が高かったビートルズのことですから、マスコミもその不手際を指摘したに違いありません。私の見解は2月5日か10日の同時発売説です。

また「抱きしめたい」をデビュー盤と(*月報に)明記しているのも、仮に同時発売であったとすればまんざら嘘にはならないわけで、東芝自体もビートルズ旋風に巻き込まれて混乱状態にあったと思われます。しかし、ここまで(*発売日の特定が)錯綜すればどちらがどちらでも構わないような気がしてきました。続けざまに二枚が発売された、でいいような。」 *菅田追記


“店頭にその「プリーズ」がなければ大騒ぎとなったはず”という推測こそは、「プリーズ~」の3月5日発売が絶対あり得ないことを証明する最大の着眼点ではないでしょうか。また「続けざまの同時発売」という考え方は、“モヤモヤとしたビートルズ国内デビュー盤の現状”に対するモラルある解釈とすら感じてしまいます。「どちらにもデビューを認めてあげよう」「軍配は~、引き分け!」とても言わんばかりの。(実際のところ、初期ビートルズに同時発売は多い)






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Nさんに届いた東芝からの回答ハガキ

  ビートルズ来日50周年の今年、「ビートルズと日本」が出版された意義はとてつもなく大きい気がします。この本を紹介することによって、ビートルズ国内盤の発売日問題が日本経済新聞やヤフー・ニュースでも取り上げられることになりました。日経の記事でも触れられていたデビューLPの発売日に対する回答ハガキ(筆跡は高嶋氏?)。こういったものを表に引き出してくれるメディアの力。来日50周年をきっかけとして盛り上がったビートルズ日本研究。今後もこの気運を絶やすことなく継続し、回答ハガキのような貴重資料を発掘して行きたいものです。たとえ今が仮に47年前の曖昧なソースを元にしたデビュー曲定説となっていても、レコード会社の認識一つで定説が変更して行くのなら、今後の意識変革に期待するのもありでしょう。そういう土台は、来日50周年をきっかけに出来上がったと感じています。

ビートルズ国内デビュー曲の謎⑨

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「ビートルズを観た」(音楽出版社、2016年)
リアルタイマーの武道館公演観戦記や当時の思い出話は楽しいですね。
一応私もリアルタイマー(TV観戦派)ですが、話楽しくないですか?



 真実解明の旅も佳境に入ってまいりました。と言いつつ、デビュー発売日(2月5日?)が特定出来るほどの決定的な光はまだ見えていません。最近出版された「ビートルズを観た」を読みながら、何かヒントがないものかといろいろと想いを巡らせております。証言インタビューに登場されている岩淵三永子さんの記事を読んでいたら、「ビートルズ来日を初めて知ったのは、何の媒体でしたか?」の質問に対し、「当時書いていた日記を読み返してみたら、ラジオでした。」というのを見つけました。これだ!レコード会社に当時の資料が残っていないのなら、ファンの記録(日記)も有効なソースになり得るのではないか。この本には「体験者アンケート」という項目があり、30名以上の回答が寄せられているのですが、せめてもう一つ質問事項を加えてほしかった。

(質問8)「プリーズ・プリーズ・ミー」「抱きしめたい」の購入日を記した日記及びレコードをお持ちでしたら、その日付を教て下さい。(来日公演とは関係ない?)







rc201608.jpg  デル・シャノンJET-1427
「レコード・コレクターズ」2016年8月号  デル・シャノン/フロム・ミー・トゥー・ユー<JET-1427>

 レココレの最新号のレターズ欄に、「1964年の佐賀の街角では」というタイトルの記事が掲載されました。街角男デル・シャノンの64年のヒット曲「フロム・ミー・トゥー・ユー」を一瞬連想してしまうタイトルですが、何とこれが私の願望をドンピシャ叶えてくれている内容なのです。佐賀市在住の上田恭一郎さんの奥さんが当時購入された「プリーズ~」「抱きしめたい」のレコード・ジャケットに購入日が記してあるとのこと。ちなみにその記述は以下の通りです。

「プリーズ~」 2月22日(プレスマーク(以下PM)はA4)
「抱きしめたい」3月17日(PM:B4)

前回紹介した石附さんといい今回の上田さんといい、レココレ・レターズ欄恐るべし!
これはあくまで個人の記録であり絶対的なものではありませんが、少なくともその時点でレコードが市場に出回っていた証拠には成り得ると考えます。さらに3枚目の「シー・ラヴズ・ユー」ですが、これが驚くなかれ何とも物議を醸した内容なのです。

「シー・ラヴズ・ユー」 4月6日(PM:C4、D4の複数刻印→64年4月プレス)

この記録は、プレスからインターバル6日以内で発売に至ったということを示しています。これは特例と考えるべきなのか、何かの手違い(チェック・記入ミス等)なのか。PMはあくまでも発売日を特定するための(強力な)有効材料であって決定材料ではありませんが、この記事が真実ならば、「抱きしめたい」の初回PMが仮にB4であっても2月5日の発売も考えられるということになります。いずれにせよ、精査が必要な今後の課題ということにさせていただきます。








diary.jpg   エルヴィス・プレスリーSS-1084◎
村岡ポップス日記、全13巻(1959年~68年)    エルヴィス・プレスリー/思ひ出の指環<SS-1084>
シュウカツの一環として廃棄されるところをかろうじて救出


 さて日記の話に戻りましょう。10年前の「60年代ロックLP図鑑」でビートルズのLP発売日を解明している時、大村さんと「究極の真実は、当時の少年少女の日記に隠されているのではないか」などと話したことがありました。来日公演に関しても、私自身“レコード買取”という仕事をきっかけに、これまで数多くの武道館体験者からお話を訊かせていただく機会を持つことが出来ました。そんな中から、以前ブログでも紹介させていただいたMさんこと村岡英子さんの日記を紹介させていただきます。村岡さんは先日の浅草セールにも来ていただいたのですが、今でも現役バリバリのポップス少女?です。当時高校生だった62年にボビー・ヴィー・ファンクラブに在籍していた関係で“二人ベンチャーズ”の初来日公演も経験され、ビートルズにはFENで出会い、その後怒涛の64~5年を経て燃え尽き、武道館公演ではちょっぴり冷めていたとも言われています(前年経験したアニマルズ公演が強烈だったことが原因のようですが)。そんな村岡さんにお願いして、ビートルズ関連の箇所だけピックアップしての公開が叶いました。ご協力感謝いたします。


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「今日から1964年」という響きがいいですねえ。「TOP20」はFENのチャート番組からの聴き写しメモです。ヒアリングによるため、3位「アイワナホージューヘン(ザ・ビィードルス)」となっているのが何ともリアル(初めてバンド名を耳にされたと思われます)。


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FENのビートルズ特集。村岡さんは国内放送よりFENが中心だったようでその点ちょっと残念ではありますが、既成のポップスからビートルズ熱中に切り替わって行く様子が伝わって来ます。

「(ビートルズ)ステキよ イギリスのクリフ こんなの問題じゃない プレも」

ちなみに村岡さんのハジレコは、中学1年の時(1958年)に買ったエルヴィスの
「思ひ出の指環」とのこと(あの大滝詠一がエルヴィスに出会う4年前)。

そして2月11日の日記に決定的な1行が。

「プリーズ・プリーズ・ミー 夕日に赤い帆 を買う(レコード)」

買われたのは大井町のシブヤ楽器店(村岡さんは何とその2か月後からここに勤務されます)。強烈なポップス女子高生だったためビートルズとファッツ・ドミノという組み合わせとなっていますが、もし「抱きしめたい」が店頭にあったら「夕日に赤い帆」をやめて間違いなく買っていたと言われています。


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「抱きしめたい」は14日に買われているようです。11日は売り切れていたのか、未入荷(未発売?)だったのか。
大村本に「国際ニュース」でビートルズを採り上げたことが書かれてありますが、TV欄での記述はないようで、放映時期は“2月中旬~下旬(?)”となっています。村岡日記で17日に放送されたことが分かりますね。


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ラジオで聴いた回数をメモしてるなんて、並みのポップス少女ではありません。そんな村岡さんはその後64年4月のシブヤ楽器店をスタートに、京橋堂西銀座店(64年11月~67年10月)、十字屋銀座本店(67年12月~72年8月)と、ビートルズ国内現役時代にほぼ完璧にレコード店に勤務されることとなります。「東京オリンピックの頃、LPの帯で、ビニール袋に引っかかって入れにくいのがあったのよ。」って、それ「半かけ帯」のことですよ、村岡さん。






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発売日より4日早く納品されたLP

 一方で、こうした日記の記述に対してシビアな意見があるのも確かです。プレスマークの発見者でもある柳生さんは、「(メーカーからレコード店への配送は、)1960年代はよりコントロールされていない状況だったでしょう。どこの地域でもビン・ポイントで発売日の前日に店頭着させる、なんてことは無理です。ですので「11日に買った」という事実があったとしても、発売は5日か10日と決めつけない方がいいと思います。15日発売の可能性も充分あると思います。私自身、1967.7.5発売のサージェントが1967.7.1にエサ箱に入っていたのを明確に記憶しています。(お茶の水の店)」と語られています。やはり実際の「流通日」と「発売日」は別物と考えないといけない、ということなのですね。






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ハッピ似合ってます。決めるときはちゃんと決めますねえ。

 大村さんから、7月1日に行われたシンコーミュージック主催のビートルズと日本」トーク・イベントのメインテーマ「ビートルズの日本盤レコードの発売日はいつか」の主要な内容報告が届きました。このトークのポイントを要約すると、
「発売日の決定権はすべてメーカーにある。今や重要な意味を持ってしまった日本デビュー曲と発売日は、メーカーの一存で決まる(戸籍上は)」
「(デビュー盤の発売日は)現時点では特定不能。但し、戸籍上では「抱きしめたい」がファースト・シングルのデビュー曲」と結論づけられています。ただし
「デビュー・シングルの戸籍は、流通実態との乖離が大きい可能性があり、“デビュー”は様々な定義・解釈が可能。“戸籍”の側面だけで片付けるべき問題ではない」との補足もされています。


 現在メーカーが提示している直近の発売日は、CD「JAPAN BOX」のライナーに書かれている発売日ということになるようです。ということは、デビューLPは“64年4月5日”のままであり、当然デビュー・シングルも「抱きしめたい」“64年2月5日”のままということになります。それでいいんですか?それでいいのなら、国内デビューから30年後と解釈して94年2月5日にオープンした当店は、店名をジスボーイからアスクミーホワイに変えなくてすみますが・・。2号店を来日から30年後の96年6月29日にオープンしたことは問題なさそうですが、こんなビートルズ関連日の遊びを繰り返して来て、気が付いてみたら“ビートルズ国内盤発売日のアジテーター”となり果てているのも、考えてみたら必然の結果なのかもしれません。次回の最終回では、足元グラグラの根拠で成立している現在のデビュー曲定説(戸籍)を、直近の提示ではなくメーカーの示した別の提示に光を当てることによって解明したいと考えています。

ビートルズ国内デビュー曲の謎⑧

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 昨年に続いて今年も16日から18日の3日間、「レコードCD・サマー・カーニバル浅草」に向かいます。外人観光客も多い猛暑の中、しっかりとカープ魂炸裂でがんばってまいります!なんて威勢のいいことはとても言えなくて、デビュー曲ネタで少々バテぎみであります。「いつまでやるの~?」「まあどっちでもいいじゃない」「いつものバカ・ブログに早く戻ってよ」の影なる声も聞こえなくはないのですが、せっかく来日50周年に引っかけて乗っかった船です。“ビートルズ発売日検証シリーズ”の、デビューLP「ビートルズ!」、デビュー音源「マイ・ボニー・ツイスト」に続く第3弾、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」のアンサー・ソング、「デビュー曲はどっちだ(I Want To Find Your Secret.)」只今絶賛検証中!!
ということで、もう少しご辛抱願います。
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「レコード・コレクターズ」2016年6月号


 今年のレココレ6月号レターズ欄に、かつて「60年代ロックLP図鑑」でもジャケット協力していただいた石附修さんの「最初に店頭に並んだビートルズの日本盤シングルは?」という投稿記事が掲載されました。デビュー曲というものは本来メーカーが定めた発売日によって決定されるべきものですが、ことビートルズに関しては、「当時のメーカーの記録がない」「後付けで定められたメーカーの発売日が当時のメディア記録と明らかに異なっている」という理由から、石附さんは“世に早く出回ったもの”を(実質的な)デビュー曲としてとらえ解明してみようというアプローチをとられています。高嶋氏の繰り上げ発売は、実際のところ間に合ったのか間に合わなかったのか。


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ミュージック・マンスリー64年4月号~6月号
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 石附さんは結論として「プリーズ~」が早く店頭に並んだと分析されています。その根拠として、

① 「ミュージック・マンスリー」や「ミュージック・ライフ」に掲載の全国及び東京のレコード店売上チャートの比較
(全国) MM4月号(3月 1日現在)「プリーズ~」11位、「抱きしめたい」なし
         5月号(3月31日現在)「プリーズ~」 1位、「抱きしめたい」6位
         6月号(5月 1日現在)「プリーズ~」 3位、「抱きしめたい」4位
(東京) ML2月             「プリーズ~」9位、「抱きしめたい」10位
        3月             「プリーズ~」2位、「抱きしめたい」 9位
        4月             「抱きしめたい」 1位、「プリーズ~」2位

②プレスマーク 「プリーズ~」A4(64年1月プレス)の存在

の2点を指摘されています。

東京とそれ以外の地域ではレコードの流通に異なった実態があったことが①の売上チャートの動きから推測出来ますが、いすれも「プリーズ~」が先行した売れ行きを示しています。当然曲の人気度も加味して考えないといけませんが、レコード店売上のチャート実績というのは、発売順を推測するためのひとつの有力な根拠にはなると思います。


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「9500万人のポピュラー・リクエスト・チャート表(1964年~67年)」
九州Mさん作成のファイル


一般にチャートと言えば、ラジオのヒット・チャートが頭に浮かびます。以前レココレに「当時のヒット・チャート等の動きから考えてこの2枚がほぼ同時に発売されたことは間違いない。」と書いたことがあり、この精査も兼ねて今回徹底的に調べてみることにしました。リアルタイマーである九州のMさんが作成された「9500万人のポピュラー・リクエスト」のファイルを参考にして、当時のラジオ・ヒット・チャートの順位を拾ってみました(他のリアルタイマーAさんの記録との一致も確認済み)。

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こうしてみると“ほぼ同時に発売された”どころか、70年度総目録記載の定説発売日を逆転させた印象すら受けてしまいます(「プリーズ~」2月5日、「抱きしめたい」3月5日)。“「プリーズ~」の3月5日は明らかにおかしい”ことを強調したいがために、軽率ながらチャート表をよく吟味せず新聞記事の発売日記録と混同していたようで、大変失礼いたしました。「プリーズ~」は次週5月8日に堂々の1位に輝き、その後5月末までずっと優勢が続きます。6月になると「抱きしめたい」が(やっと)「プリーズ~」を抜いて6月末まで優勢に立ち、7月に入り(やっと)「プリーズ~」はチャートから脱落することになります。こうした流れをみて気づいたのですが、60年代の代表的な洋楽リクエスト番組で「プリーズ~」が5ヶ月間チャートに君臨し、しかも最初の4ヶ月間も「抱きしめたい」より優位に立っていたという事実が、リアルタイマーの多くに「プリーズ~」をデビュー曲と認識させていた原因の一つなのではないでしょうか。

ラジオ・リクエスト番組に関しては他に「東芝ヒット・パレード」という番組がありますが、“1月末にこの番組でパーソナリティーの前田武彦が「ザ・ビートルズの日本でのデビュー曲が『抱きしめたい』に変わりました」と番組内新曲コーナーで新人ビートルズを紹介した”、と書かれたブログの記事を見つけました。ラジオ番組でアナウンスされたことは初めて知ったのですが、リアルタイマーとして書かれている内容は素晴らしく、(1月末かどうかは別にして)そのような発表がされたのは間違いないのでしょう。ただし、Mさんとは別のリアルタイマーAさんによる当時放送を毎週聞いて書き起こしたメモによる「東芝ヒット・パレード」チャート表では、1月25日に新譜紹介されたのは「プリーズ~」の方で、早速翌週2月1日に13位でチャート・インしています。一方「抱きしめたい」は2月15日の放送で新譜紹介され、これまた翌週22日に17位でチャート・インしているという自然な動きをとっています。こちらの方も最初のチャート・インから4月中旬までの2ヶ月半ほど「プリーズ~」が優勢で、「抱きしめたい」が逆転するペースが若干早いだけで、基本「9500万人のポピュラー・リクエスト」と同種の流れとなっています。MM(全国)・ML(東京)の売上チャートの流れと、9500万人~(全国)・東芝ヒット~(東芝曲限定)のヒット・チャートの流れが奇妙なほど一致しています(偶然でしょうけど)。









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OR-1041のプレスマークA4盤、10万円でWANT!


次に②のプレスマークですが、これは実質的なデビュー曲を特定するための有力な根拠になり得ると私は考えています。かつて「60年代ロックLP図鑑」におけるデビューLPの発売日検証でも、確認し得る最古のプレスマークがD4(64年4月プレス)であったことから発売日を「4月15日」に絞ることが出来ました。さっそく私のルートで「プリーズ~」と「抱きしめたい」の最古のプレスマークを調査してみました。オールディーズ・コレクターで「抱きしめたい」を10枚お持ちの方とかいろいろ当たってみた結果、「プリーズ~」はA4が見つかっているどころか圧倒的にA4が多く、「抱きしめたい」の最古はB4が圧倒的でした。LPの初回プレスマークを徹底的に調査(500枚程度)していた時に気付いたのは、基本的に最古のプレスマークが一番多いような気がするということです。ですから「抱きしめたい」にA4(64年1月プレス)が見つからないというのは、かなり大変なことなのです。




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「ヒットチャートの魔術師」(高島弘之著、紀尾井書房、1981年)

  さてここで「プリーズ~」の発売までの流れを振り返ってみるとしましょう(さも冷静に)。12月中旬には発売を決定したと思われる「プリーズ~」ですが、高嶋氏の「ヒットチャートの魔術師」には、
「レコードは発売するまでにいろいろな準備で三ヵ月はかかる。 (中略) 何もかも新しくと翌年早々二月十日に決めた。そして曲は『プリーズ・プリーズ・ミー』。」
と書かれてあります。通常3ヶ月かかるところを急いで2ヶ月で発売するために、さっそく1月にはプレスを開始し、15日の東芝定期発売日を無視し(何もかも新しく)10日とした、と考えればつじつまが合いますね(ただし当時は、「ポップス」64年2月号で“2月15日”発売予定と告知されています)。一方の「抱きしめたい」ですが、これが大難問。同書には
「63年末になって、アメリカのキャピトルが第一弾に『抱きしめたい』を決めたとの情報を得た。私ははじめ『プリーズ・プリーズ・ミー』を第一弾にしていたが、『抱きしめたい』をためらわずそれより五日早くして二月五日発売第一弾とした。日米が歩調同じうしてプロモートすべきと考えたのである。」
と書かれています。この決断と実行が実際のところいつ行われたのか?月報4月号に新譜発売で「抱きしめたい」が掲載されているということは、1月中旬以降であることは間違いないでしょう。仮に20日頃であったとしても2月5日までは半月ほどの余裕があります。デビューLP「ビートルズ!」の初回プレスマークがD4であることを基準にすれば、ギリギリ5日の発売が間に合うインターバルです。しかしながらA4のプレスマークは発見されていないのです。全米チャートでトップになるタイミング(2月1日)を見計らっていて決断が遅れてしまったのか。マスターテープ到着(板起こし?)の遅延が原因しているのか。いづれにせよ、プレスマークがB4(64年2月プレス)ではどう考えても2月5日の発売は無理だと思うのですが。



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