「ワン・オン・ワン」はポール対ジョンにあらず   

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 ポールの「ワン・オン・ワン・ジャパン・ツアー2017」(東京ドーム)に行ってまいりました。何たってオープニングがジョンとポールの掛け合い曲「ハード・デイズ・ナイト」ですからね。コンサートに参加したという黒柳徹子さんの「残った者の務めとはこういうものかと深く感動した」というコメントがすべてを象徴しています。2017年に、“70代のロッカーが現役バリバリでワールド・ツアーをする”という奇跡の記録更新を確認出来ただけで充分でしょう。昨年の4月~10月39公演のテンションをそのまま継続し続ける74才のパワーに、ただただ感服するのみです。





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  しかしながら振り返って考えてみれば、60年代にあれだけパワフルな音楽を作り上げた人ですから、現在の在り方も当然といえば当然の結果なのかもしれません。その偉大さを120%認めたうえであえて正直に告白すると、個人的に完全燃焼出来なかったのも事実です。それは巨大アリーナでの立ちっぱなし観戦による体力的消耗だけでなく(ポールに失礼だぞ!)、ポールをビートルズ分子としてしか認識出来ないリアルタイマーとしての悲しき習性が起因しているのではないかと思えるのです。極私的なポール観戦史、ちょっと振り返ってみます。初めてポール来日を意識したのは75年の初来日報道が当然最初で、この時はチケット予約の電話がまったく通じず、断念しようかと迷っているうちに気が付いたら中止が発表されていました。その後は怒涛のサラリーマン生活に突入したこともあって、ソロ・ビートルとしてのポールへの想いすら徐々にトーンダウンしてゆき、脱サラ後もそのトーンは基本覆されることなく結局90年・93年のライヴも不参加。初参加した02年の大阪ドームでも、アリーナ後方という悪条件で小っちゃなモニターを立ったまま最初から見続けることにほとほと嫌気がさし、コンサート中盤でリタイアするという愚行をしでかしてしまいました。基本的に70年の解散と同時にビートルズそのものと心中したような人間にとっては(71年のツェッペリン広島公演でさえ、(ビートルズと比べて)才能ない奴らだなあと思って観てました)、ある種の“欠落音楽的感覚”が拭えなかったのですね。今から考えれば、ジョンのソロに対してもそうだったような気がします。熱烈な若いポール・ファンからすれば、ちっぽけなプライドにしがみついているだけの哀れなポール・ファンなのかもしれません。






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「ビートル・アローン」(藤本国彦著、レコードコレクターズ増刊)

 そんなスタンスを引きずりながらも、大きな変化を感じたのは私が60代に突入してからのことでした。残されたビートル・アローンとしてのポールが、ジョンやジョージへの想いを背負ってばく進しているパワーに胸打たれたんですね。長年の空白を埋めるべく参加した15年の京セラドームと武道館で、それまで抱いていた個人的偏見をほぼ排除すことが出来たように思えました。ブログ「風に吹かれての命名者」がきっかけでお付き合いさせていただくことになった藤本国彦さんの新著「ビートル・アローン」のあとがきに、「二人になったビートルに、もう一言。オール・スター・バンドにポールに入ってもらうわけにはいかないだろうけれど、ポール&リンゴ名義でツアーやってほしい。」と書かれてありました。ポールの真の偉大さをソロ・デビュー以来冷静に見続けて来られた藤本さん。さすが願望も現実的!と感心してしまいました。私なんか、「もし76才のジョンが生きていて74才のポールと「ハード・デイズ・ナイト」をハモってくれたら、それが仮に老いぼれハーモニーであろうとも、きっと卒倒するに違いない」と未だにノーテンキな夢想をしてしまうんですから。(あっ、いかん。ソロ・ビートル幻想、全然排除出来てないや)






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ダリル・ポール&ジョン・オーツ と読み替えてみた(情けない)





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もっと気の利いたショットはないのか(入場前)



WELCOME BACK、PAUL!

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  やっと年一度のオークションから解放され、しばらくのんびりしていたらあっという間に3月突入。かろうじて今年度のアナログ貴重盤もスタートしましたが、昨年末から引き続いての買取続行でなかなかブログもアップ出来ない状況でした。ごらんのとおり業界盤の山で、同一アイテムが複数あったりもします。オークション・リストに掲載したレア盤『スプリング・ファースト』も、今回アナロク貴重盤にアップしたものも加えると最終的に3枚ほど買取したことになります。ビートルズのテスト盤もかなり揃っていますが、これらは70年代EAS盤につき2017年度のオークション・リストではとりあえずセットセール用となると思われます。ただしテスト盤に付いているサンプル用ジャケにはプレス日の記録があったりで、それはそれで貴重な資料にはなりうる気がします。




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鳥塚しげき/『故郷へ帰ろう/スーパー・セッション』<ETP-8156>
一瞬ジョンの『平和の祈りをこめて』のレアなセカンド帯かと思ったが・・。
右上のPTSシールがポールの『ラム』っぽい。



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紀 比呂子/『比呂子の歌とおしゃべり』<TP-8149>
ナレーションの一言にシビレる
「あなたの好きなものなにってよく聞かれるんだけど、
 そうねえ 一番に 海 それから 太陽、 家、   ビートルズ!」







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『ミート・ザ・バッド・ボーイズ』<ETP-8269>

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 日本初のビートルズ・コピー・アルバム『ミート・ザ・バッド・ボーイズ』は、コピーバンドの元祖東京ビートルズの「抱きしめい」発売から9年以上も経過した73年9月25日の発売で、10月1日に東芝音楽工業から東芝EMIに社名変更する直前のLPにあたっています。このサンプル盤を見ると、ジャケットと歌詞カードは既に東芝EMIと印刷されていますが帯は東芝音楽工業のものが付けられています。社名変更する過度期には変則不一致なアイテムが各社多いのですが、サンプル盤であるだけにドッキングは考えにくいところです。このあたりが業界盤としての価値とも言えます。ということで、『ミート・ザ・バッド・ボーイズ』には東芝音楽工業のジャケットは存在しない可能性が高いと言えるのではないでしょうか。これが本家ビートルズ盤だったなら、いろいろと物議を醸し出すコレクター泣かせのアイテムとなるわけです。(バッド・ボーイズでよかった)





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TEDDY BOY/『Play The Beatles』<LRs-383> 
サイン入りもラトルズ的パロディ精神か?
  

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  この『ミート・ザ・バッド・ボーイズ』からおよそ1年後に、『TEDDY BOY!(Play The Beatles)』という自主盤が作られています。意識はしたのでしょうが同じ東芝EMIで委託製作されたもので、タイトルの字体や“!”を付けたところなどバッド・ボーイズのLPと酷似しています。ただバンド名にSを付けなかったり、レーベルもアップル・テイストなシャレの効いたデザインが施されていたりするところにはビートルズ的な独自性とセンスを感じさせます(考えすぎ?)。初期のヒット曲に加え「THIS BOY」「ACT NATURALLY」「DEVIL IN HER HEART」「TILL THERE WAS YOU」といったマイナー曲も収録されていたりして、ビートルズ・コピーバンド研究家(そんな人いるの?)には気になるLPとなっています。コピーバンドとしての音楽的な仕上がりも、いい意味でのアマチュアリズムを感じさせる素敵な出来のアルバムと言っていいでしょう。日本のビートルズ・コピーバンドのLPは以上2枚しか存在しないと思うのですが(インスト物除く)、そう考えると自主盤とはいえこのレコードの存在は貴重です。このLPはかつて「プレミア・レコード図鑑」の激レア・ギャラリーのコーナーで紹介したことがあり、そんなこんなの縁で、4年前にメンバーの方から“TO THIS BOY FROM TEDDY BOY”と題したお手紙をいただいたことがあります。同じ大学のほぼ同年代の方で、ひょっとしたらキャンパスですれ違ったこともあったかもしれない人でした。手紙の最後にはこう絞められていました。



あの本のおかげで、箔が付いたと言えば宜しいのでしょうか?
青春を肯定(笑)する事が出来ました。深く御礼申し上げます。


ビートルズを介しての縁・出会い。これからも続いて行くのでしょう。







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  昨年末に(またまた)発表されたポール2017コンサートのチケットが1月中旬に見事当選。まだまだバリバリで80代になってもライヴ出来そうな予感もするのですが、ポールのコンサートについては長年スルーしていたこともあり、その空白も埋めるべく今年も参加することにしました。当選直後はちょうどオークション落札レコードの発送時期とぶつかり、連日遅くまで梱包作業に追われついうっかり払い込みを失念しておりました。チケット送金締め切りに気づいたのが、締切日リミット3時間前の夜9時過ぎ。慌ててコンビニ駆け込みました。その後のチケット発券手続きでは、余裕をみて早めにコンビニへ。窓口でチケット受け取って席を確認したらアリーナS席の6列。昨年のリンゴ広島公演の7列に続く一桁の番号にビビっと反応し、女性店員に

「これ6列ですね・・。」
「あっ本当、凄いですね。」
「6列といったら、6列目ですよね。」
「・・・、そうですね。誰のコンサートですか?」

ポール・マッッカッットニーです。」(ちょっと力入った)

「ええ~、凄いじゃないですか!どこであるんですか?」
「東京ドームです。」
「ええー、さすがですね~。私なんか、広島のグリーンアリーナぐらいしか行ったことないです。」

誰のコンサートかなんて聞きもせず、再び
「アリーナの6列といったらひとつしかないよね?」
(急にフレンドリーになったはいいが、訊く相手間違ってないか)
「・・・、ですよね。」
「本当かな~。ちょっと凄いんじゃない?」
「それは凄いですよ!」
「“ポール6列出ました!”の張り紙、ウインドウに出す?」
「そうしましょうか(笑)」

いい娘じゃないか!(Ain’t She Sweet


喜び勇んで、「ビートルズと日本」続編出版の追い込みで忙しい大村さんに電話。
電話繋がる直前に“B16ブロック”という文字が目に入る。(嫌な予感)

「アリーナ6列のチケットが取れて喜んでたんですが、B16ブロックと書いてありますね。
そうか・・。アリーナ6列は一つだけじゃあないんですね?」
「ひとつじゃあないですね。でもBブロックならなかなかの良席ですよ。肉眼でポールの顔見えるんじゃないですか。」

東京ドームはこれまでストーンズの初来日と数年前のライヴの2回ほど行ったことがありますが、いずれも2階の最後列に近い席だったため座席表の番号配列なんて意識したことはありませんでした。その夜大村さんから届いた東京ドームの座席表で、アリーナ6列は100席ぐらいあることがしっかりと確認されたのでありました、とさ。

ビートルズ(ポール)を介しての喜怒哀楽ならぬ“喜と哀落”。なんちゃって







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今回の同LP3枚買取ではないけど、15年近く前、北海道に買取出張しレコード卸の方から7枚同時に買取した『サージェント~』デッドストック残りの1枚。7枚並べて写真撮っておけばよかった。

 64歳の「ビートルズ老人年齢」に突入したかというように、テレビの小さな文字が見えにくくなりました(ってこれは単純に近視か?ポールの顔肉眼で見えなかったらどうしよう・・)。異常体質かと思えるほど頭以外の老化は進んでなかった気がするのですが、いよいよ。でも相変わらずダジャレのセンス?とレコード買取のセンスは健在です。今年もよろしく!(3月ですが)

サージェント・ペパーズ50周年

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謹賀新年

今年もよろしくお願いします。

 ビートルズ・バカ人間にとって、今年はアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が発売されて50年という節目の年になります。正直に告白すると、何故かこのアルバム、それほど思い入れがないんです。当然ビートルズの新作lLPということで、当時の半端ない期待感ははっきりと覚えています。このLPは友人のS君がいち早く買ったのを借りて聴き、結構それなりに惹き込まれはしたものの結局自分では買いませんでした。で、考えてみたら、当時リアルタイムで買わなかった(買えなかった)LPは、「NO.5」「ビートルズ物語」「イエロー・サブマリン」とこの「サージェント~」だったんですね。当然大学生になって直ぐLPを買って聴きまくったのは確かですが、発売されたとき中学3年でシングル・メインの時期だったとはいえ、このLPを高校生になって買わなかった(買いそびれた?)のは今から考えると不思議な気がします。でも家に姉のピアノがあった関係で、LP持ってないくせに何故か楽譜だけは買ってたりするんですね。楽譜をそのまま完璧に弾けたのではないのですが、適当にギター・コードをピアノに置き換えてガチャガチャやって楽しんでたんですよ。不思議でしょ?というわけで、この「サージェント・ペパーズ~」は、、私にとってエアポケットに落っこちたような感覚のアルバムなんです。







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 さて、年頭の戯言(たわごと)はこれくらいにして、オークションの告知です。やっとリスト発送しました。大変お待たせしましたが、ネット公開もしておりますので参考にして下さい。私にとっても久々にゆっくりできる凪のような10日間.。皆様の熱いレコードへの想い、期待しております。本年も何卒よろしくお願いいたします。

2016年度オークション・リストまもなく完成

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「レコード・コレクターズ」2017年1月号広告

 28年目の冬をむかえております。こんなハードなことあと何年出来るんだろうとリアルに考えながら、1500枚近いレコードの検盤・リスト入力・画像撮影ほぼ終えました。仕上がりは年明けの上旬となりますが、申込の締め切り予定1月17日を考えると、かなりの短期決戦となりそうです。売る側も大変ですが、買われる側もさぞ入札額には頭を悩まされることであろうと同情いたします。












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 ビートルズ来日50周年に歳甲斐もなくはしゃぎ、カープ優勝に熱狂した2016年。黒沢健一さんが亡くなられた。


と書いた後、しばらく何も書けなくなってしまった.。まだ私にとって冷静に語れる時期ではないのでしょう。ほんの半年前にビートルズのデビュー盤のことを電話で話していたし、病状が発表されてからも黒沢さんの想いを背負ってリンゴの広島公演に参加してわずか1ヶ月ほどのことでしたから。大好きなレコードを介してだけの交流でしたが、それこそL⇔Rデビュー直前から四半世紀に渡ってお付き合いさせていただきました。世代は違えど、ビートルズを起点にしたオールディーズへの傾倒には強烈なシンパシーを感じていました。ご冥福をお祈りいたします。

「風に吹かれて」の命名者

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“ドラムを叩きながら”「ボーイズ」を熱唱するリンゴ
撮影OKでこんなに近いのに・・邪魔。


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“ビートルズを武道館で観た”お二人(山本唯夫さん、長田泰子さん)と
二人に挟まれた人はリンゴか?(スーパー・)マリオか!?
決してジョンではなさそう・・



 先月リンゴ広島公演行ってまいりました。山本さんに手配していただいたチケットはさすがの前から7列目(何たってビートルズ武道館チケットを当時20枚も押さえた人ですから)。にもかかわらずコンサート始まるや皆さん即総立ちで、数メートル先で繰り広げられている凄い人のライヴもかろうじて見えたり見えなったり・・。2時間近い棒立ちは正直60代のおじさんにはキツイものがあるのですが(隣でずっと座ってたオジサンも気になったけど)、そんなこと言ってられません。何たって76才のリンゴが、2016年に目の前で演奏して歌ってくれているのですから!それだけでも凄い事です。頭は白髪になり顔はしわだらけになってドラムの腕はそれなりに落ちても、変わらないもの。5体のバランス、歩き方、ビートを刻むアクション、そして歌声!ビートルズの曲を歌う時のリンゴは最高です。特に感激したのが「WHAT GOES ON」。かえすがえすリンゴの声にピッタリの、コーラス・バックアップの効きたナイスな曲であると再確認したのであります。ライヴ全般を通してリンゴの陽気さがビンビン伝わって来る、何とも心地よさ満載のコンサートでありました。翌日には東京からリンゴのコンサートを観に広島に来たという方が来店。ポールのコンサートは何と70回は観てるとのこと。凄い人もいるもんです。でもビートルズ・マジックにとり憑かれた無限とも言える人達のこうした熱狂に、元ビートルのお二人は励まされ支えられているのでしょう。そして70代のロッカーとして、しっかりと“最良の形で”その期待に応えてくれています。







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 既に年末オークションに向けて準備進めています。28年目となる今年、景気づけにレココレ広告も来月号で予定しています。今年は和モノに比べて洋楽はちょっと寂しい状況ですが、タイムリーなことにボブ・ディランの初期コロムビア盤シングルが揃っています。デビュー盤「ホームシック・ブルース」は今回ありませんが、ここまで揃ってリストするのも初めてかもしれません。ということで「風に吹かれての命名者」というお題を考えてみました。これまで「リバプール・サウンドの命名者」、それから繋げる「ノルウェーの森の命名者」と挑戦してきて、いずれも頓挫したままの「命名者」シリーズ。「リバプール・サウンド」は④まで、「ノルウェーの森」は予定していて結局繋げずじまい。このネタに関しては、BP_JRGさんのブログにかなり詳しく書かれていますので参考にしていただければと思います。私が目をつけていたワン・ポイントは、「ミュージック・ライフ」66年4月号(4月1日発売)の「ラバーソウル」の新譜LP紹介コーナーです。このレビューに“A-②「ノーウェジアン・ウッド」(ノルウェーの森)で見せるジョンのフォーク・ロック的な味わい”と書かれているんですね。この原稿は3月中旬以前には出来上がっていたと思われることから、テイチクのキングストン・トリオ「ノルウェーの森」発売より4ヶ月も早い時期ということになります。レビュアーは無記名となっていますが(それ以前は木崎義二氏が主に担当)、既に東芝内部でこの邦題が確立されていたことをほのめかしています。少なくともテイチクの洋楽担当ディレクター、ましてや解説者である高山宏之氏でないことははっきりしました。しかしながら唯一「ノルウェーの森」と明記された4曲入りEP<OP-4198>(66年12月発売)のみを例外として、東芝のLPではその後も基本的に「ノーウェジアン・ウッド」のタイトルに拘り続けています。その原因は何なんでしょうか(これも二重構造?)。謎です。







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ピーター、ポール・アンド・マリー/「風に吹かれて」<東芝7B-26>

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やはり“フーテナニー”のオムニバス盤収録なら「風に吹かれて」しかないでしょう。

本国では63年8月にシングル・リリースされた「Blowin’ In The Wind」ですが、ディランのシングルは当時日本では発売されておらず、ファースト・シングルの「ホームシック・ブルース」ですら発売されたのは65年6月のことでした。ディランの「風に吹かれて」は、「ライク・ア・ローリング・ストーン」のB面として本国発売から2年以上も後の65年10月に発売されています。音源そのものは64年4月発売のオムニバスLP「オールスター・フーテナニー」<YS-320>にも収録されていますが、まだ日本では“フォーク・ブームに登場したシンガーの一人”としての認識でしかなかったようです。「風に吹かれて」の邦題が最初に使われたレコードは、ピーター,ポール・アンド・マリー(以下PPM)のシングル盤と思われます。PPMの「風に吹かれて」<7B-26>(63年9月発売)の解説はしっかりと普通に書かれているにもかかわらず、何故か無記名になっています。その前に発売された国内初シングルの「パフ」<7B-23>では解説者が高崎一郎氏となっており、例によってお得意の一口訳詞が書かれています。

不思議なドラゴン、パフ
ハナリー島の青い海、秋もやの中に住んでいるパフ
小さな子供は皆パフが好き
オッカニ海賊もパフが一声ホエればすぐ退散さ


カヴァー曲の場合は洋楽担当ディレクターが主に邦題をつけていると思われますが、例外的に楽曲登録その他出版物での記述が先行すること等も考えられ、「風に吹かれて」のシングルに解説者が明記されていないことも妙に気になります。フォーク・サイドに立った文体から推測すると高崎一郎氏ではないような気もするのですが、何故か一口訳詞もちゃんと書かれています。無記名者の訳詞はこうです。

人はいかほどの苦悩を乗り越えねばならぬのだ
白い鳩はいつになったら安息出来るのだ
あの恐ろしい爆弾はいつまで飛び交し続けるのだ
答は、友よその答は、風の中で吹き荒んでいるのだ








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ブロードサイド・スリー/「フォークソング・ベスト・ヒッツ」<JPS-5037>


 視点を変えて国内アーティストのカヴァーに目を向けてみましょう。レコード化された最古のものは、ブロードサイド・スリーのLP「フォークソング・ベスト・ヒッツ」<JPS-5037>(65年5月)に収録された「風に吹かれて」ではないかと思われますが、これはオリジナルの英語詞となっています。英語詞なら、これ以外にもソノシートで人知れずマイナーな誰かさんが歌っているものがあるような気もします。ところがどっこい、訳詞盤となるとこれが意外や意外なかなか見つからないのです。やっと浮上してきたのが以下の2枚です。


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紀本ヨシオ/風に聞いてくれ<EB-7237>63年10月

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守屋浩/風が知ってる<CW-490>66年6月

それぞれ「太陽は傷だらけ」と「太陽を胸に」のB面で、共に“「太陽」の陰に隠れていた異タイトル曲”というのが何とも・・。ちなみに守屋浩の「風が知ってる」の訳詞は野上彰。ビートルズ研究家、藤本国彦氏のお父様であります。ビートルズが来日した66年6月の発売というのがシビレます。今ではすっかり定着してしまった「風に吹かれて」というタイトルでの当時の訳詞盤がほとんど見つからないというのは考えてみたら不思議なことでもあり、そこに何かヒントが隠されているような気もします。やっと見つけたのが何と弘田三枝子。

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弘田三枝子/“ミコ・フォークを唄う”EP<JSS-53>66年7月


どれだけ道を歩くだろう
大人になるまでに
いくつの海を越えるだろう
鳩が憩うまで
いくたび弾丸は飛ぶのだろう
平和になるまでに
友だちの答えはいつも
風に吹かれてるの

           吉村あきら 訳詞(歌詞カードには“作詞”と記述)







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真保さんとの出会いはこの雑誌がきっかけです。

 以前より懇意にさせていただいているカントリー評論家の真保孝さんに、60年代のシングル曲の邦題について訊いてみました。真保さんは、ジョニー・キャッシュをはじめとして、ビル・ヘイリーのカントリーLPに至るまで、C&Wのライナーを60年代に大量に書かれています。

「カントリーとは違うんですが、ボブ・ディランの『風に吹かれて』というタイトルはレコードの解説者が付けた可能性はあるんでしょうか?」
「解説はレコード会社から届いた資料や音源を参考にしていて、その時点ではタイトルはまだ原題のままです。邦題は発売になるまでにレコード会社が考えていたと記憶しています。」
「やっぱりそうですか。それじゃあ『風に吹かれて』も東芝の洋楽担当ディレクターなんでしょうか・・。」
「よく分からないですね。ボブ・ディランはカントリーとは違うんですが、われわれの仲間でも当時結構話題で、63年に創刊した『カントリー&ウエスタン』という雑誌の確か2号か3号の表紙にしたことがあります。私は書きませんでしたが、誰かが記事を書いているはずです。」
「そこに『風に吹かれて』という記述があれば、ひょっとしたらPPMのレコードより早いかもしれませんよ!」

「Blowin’ In The Wind」の歌詞は、レコーディングする前に雑誌「シング・アウト!」にディランのコメントとともに掲載され注目されたと言われています。日本でも出版物先行の邦題は考えられないこともない気がします。ディランのノーベル文学賞受賞で大きくクローズ・アップされてしまった「風に吹かれて」というタイトル。しかしながら、あまりにつかみどころのない「風に吹かれての命名者」というテーマ。考えてみたら邦題の命名者なんて、一般的には今更分かっても“それがどうした”的なことなのかもしれません。大滝詠一は「詠み人知らず」のような歌が作れることを願ったと聞いたことがあります。「答えは、風OOOOO」なんてヤボな締めだけは遠慮させていただきますが、この曲に関したら、風に吹かれたままの状態もそれはそれで素敵なことのように思えてきました。





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この2枚はカヴァーではなさそうですが・・
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 1952年広島県安芸津町生まれ。獅子座のAB型。ビートルズをたまにしか聴かないビートルズ・フリーク。
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