ザ・ビートルズ日本公演(TV放映) ~発売日の次は放映日

in tokyo
ビートルズ来日公演(1966年7月1日昼の部)

 私がこれをテレビで観たのが中2の夏。浜田君も当然同じで、その時のことを9年前のジオログに書いていました。

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2005年7月1日(金)

初めて動いている「ビートルズ」を見たのが、
1966年の今日じゃないか、と思うんだよね。

この時、オレは中学2年生。

   (中略)

その頃の我が家のTVはまだ白黒テレビで、
おまけにガタがきていて、
長時間見ていると垂直同期がおかしくなって、
今でいうスクランブルがかかったような状態になってた。
放送日の朝、昼間のメロドラマを見るのが大好きな母に、
「お母ちゃん、今日だけは絶対に夜までテレビつけたらいけんよ!」
と言って学校に向かった。
もちろん授業なんて上の空、時間の経つのが遅いこと...。

心臓が破裂するくらいドキドキしながら番組が始まるのを待ち、
遂にその時が来た!
「どうかテレビがちゃんと映りますように!」
祈りながらスイッチを入れると「イェー、大丈夫だ!」
おそらく家族と一緒に見たと思うのだけど、
その記憶は今もトンでるんだよね。
オレと白黒のブラウン管とビートルズだけが存在していた。

作成者 浜田
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0701.jpg

 私の記憶も一緒の中学に行っていたからというのではないけど、ほぼ浜田君と同じ感じです。しかしながら中2でクラスが変わったことも影響しているのか、TV放映について当時浜田君と話した記憶が一切ありません。その頃の浜田君のビートルズへの心酔ぶりはとにかく別格で、他人が自分のことをどう思おうと一切関係なといった自信に溢れていました。一方私の方はビートルズが不良扱いされることに不満を感じていたようで、その頃の記憶を8年前に出版した「日本盤 60年代ロックLP図鑑(洋楽編)」の序説で書いています。

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怒涛の最中に真実が見えにくいのは確かだが、65年末頃からのビートルズ・フリークだった僕にとって、忘れられない情景がある。66年7月2日。その日の教室は穏やかだった。昨夜テレビで見たビートルズ公演について声高にクラスメートに話題を持ちかけたが、話に乗ってくる者は僅かだった。教室の空気はいつもと変わらなかった。はっきり覚えている。悔しいくらい静かだった。今から思えば危ないくらいビートルズに取り憑かれていた中学時代。大人達から白い目で見られ、「どうせ今だけのハシカのようなもの」的視線を常に感じていた。「長い髪じゃなくて、音楽の素晴らしさを分かって欲しい」という思いは伝わらなかった。それは大人に対してだけでなく、クラスの中でもマイナーな存在だったと言える。
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この「ザ・ビートルズ・イン・東京」(シンコーミュージック、1986年)でも放映日は一部書かれていたのですが、その頃は意識が弱かったこともありスルーしてました。    


 そのTV放映から48年と3ヶ月が経過した、つい先日。たまたま「ザ・ビートルズ 完全日本盤レコード・ガイド」というブログに掲載された表を眺めていて、大変な事実に気付いてしまいました。ブログ主のBP JRGさんはLP図鑑の協力者でもあり(今年になってそのことを知りました)以前からちょくちょく拝見させて頂いていたのですが、先月アップされた特別番組ザ・ビートルズ日本公演」検証(第3回で、広島の図書館で調べられた中国新聞のテレビ欄を根拠にして、広島テレビ他の放映日を表に纏められていたのです。

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※系列…N:日本テレビ、T:TBS、F:フジテレビ    作成:BP JRG氏(新たな香月フォロワー登場!)
この表を見ていて、浜田君と私はTV放映を観た日が違っていたことに気付いたのです。当時私は瀬戸内海に面した(豊田郡)安芸津町から汽車で1時間かけて呉市にあった呉二河中学に越境入学で通っていて、呉市内の人が見ていた広島テレビとは異なり、中継局の立地的な関係で民放では愛媛の南海放送しか映らなかったのです。
「どうだ!私こそが、広島県の中学生では稀な初日TV放映鑑賞者であったのだ。エッヘン!」という話ではなく、

教室の空気はいつもと変わらなかった。はっきり覚えている。悔しいくらい静かだった。

理由が歴然と存在していたというわけです。クラスメートで1日に観た人間は私以外誰一人いなかったわけですから。(トホホ)でも「ビートルズ」というものに対する意識が当時若者に浸透していたなら、「テレビでやったって?!」とクラス中が大騒ぎになるはずでしょ?悔しいくらい無反応だったという事実。それこそがリアルな当時の空気を伝えてくれているではないですか。仮にビートルズの音楽に興味がなかったとしても、来日という事実そのものは社会現象でもあったわけですから、チャンネル権を親が握っていたとはいえ普通の中学生でもヤジ馬根性でテレビを見る可能性は大きかったと思うんですよね。テレビ放映の話をしても無反応だったということのリアルさ。皆さん、分かっていただけたでしょうか。(弁解っぽい?)来日50周年を2年先に控え、ビートルズ日本史の究明はまだまだ課題が満載と言えるでしょう。






放映日
「ザ・ビートルズ・イン東京」が基にしたと思われる読売新聞の放映予告記事(66年6月22日)
 提供:大村亨氏(放映結果の記事も保存されています。さすが!)




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「ポップス」ビートルズ来日記念特集号(66年8月)


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その表紙裏面広告“コロムビア・ステレオ「ハニー」新発売!”
(私の中2から高3までの青春を深く刻み込んだプレイヤー)



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高1の時、浜田君が授業抜け出し私を誘って家に遊びに来たことがあります。ステレオの調子が悪くターン・テーブルが回らなくなっていてたのを、彼はテーブルの下にマッチ棒を差し込み無事に復活させてくれたのでした。あれから46年。このターン・テーブルの下には、間違いなくその時のマッチ棒が眠っている(はず)。
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