リバプール・サウンドの命名者③

swinging bluejeans
「スウィンギング・ブルー・ジーンズ」<OP-7184>
リバプール・サウンドの大本命バンド?



  いわゆる「リバプール・サウンド」と呼ばれているバンドで、厳密な意味でのリバプール出身のバンドは、ビートルズ以外にはジェリーとペイスメーカーズ、サーチャーズ、モジョス、そしてスウィンギング・ブルー・ジーンズぐらいではないでしょうか。ですから「リバプール・サウンド」の“リバプール”は、音楽が最初に誕生した場所を示すと考えるのが正しいようです。要するに、“60年代前半にリバプールに生まれ、その後イギリス全土のバンドに広がったロック・サウンド”ということですね。うさん臭い「ビートルズ世代」という言葉も、“ビートルズの現役時代に熱狂した世代”ではなく、“ビートルズが来日した頃に若者だった世代”と単純に括ってしまえば妙に納得させられます。                         









rolling stones
ローリング・ストーンズ/「これがリヴァプール・サウンドの決定盤!!」<MH-190>64年12月 
1曲目のみがリヴァプール・サウンド・テイストのオリジナル曲「テル・ミー」で、他はほとんどがR&Bやブルースのカヴァー。



 “1964年のポピュラー音楽界はビートルズで始まりましたが、終わりをしめくくるのは、このローリング・ストーンズ、というのが世界の音楽業界の一致した意見のようです。  (中略)  さてこのローリング・ストーンズは「リヴァプール・サウンド」の代表のように言われていますが、結成されたのはロンドンなのです。”

このLPの解説で朝妻一郎氏は、「リヴァプール・サウンド」という呼称の後に、誤解を避けるべくあえてストーンズの出身地を明記しています。これは前回の高崎氏や木崎氏のライナーにも共通した認識で、どうやらライター諸氏はその命名を意識的に100%受け入れていない節があります。ですから“リヴァプール・サウンドの決定盤!!”というタイトルは、私にはレコード会社の作ったキャッチ・コピーのように思えてならないのです。タイトルとライナーの担当者は別ということです。拙著「オールディーズ・シングル図鑑」でも、帯文の“総額時価一億円強!!の超貴重レコードが4000枚”というコピーには、私は関与していません。要するに出版社のプロモーションですね。





kinks_20130214231555.jpg respected man
キンクス/リスペクテッド・マン<LL-869>66年2月
「新しいウェスタン調のリヴァプール・サウンド!」66年に入るとキャッチ・コピーにもかなり無理が・・。



  「  ~ サウンド」「 ~ ミュージック」といった新しい音楽に対する命名とレコード会社のプロモーションとは、本来密接な関係があるように思います。新種の音楽をひとつのムーヴメントとしてとらえ、それに命名することで一般の関心に拍車をかける。特に商業音楽における単発的な流行は、その命名に後押しされてきたような気がします。ブームを盛り上げるネーミングの効果は侮れません。それは単に音楽界だけの話ではありません。今はやりの「アベノミクス」。新政権の経済効果にしても、安倍政権そのものの実行力ではなく、「アベノミクス」の“字効力”にかなり後押しされているのではないかと睨んでいます(音楽バカのくせに)。

64年末の「これぞリヴァプール・サウンドの決定盤!!」以降もレコード会社の「リバプール・サウンド」攻勢は衰えず、65年に突入すると、コロムビアの「これぞリヴァプール・サウンド」シリーズやビクターの「これがスター・クラブだ!/リバプール・サウンドのスター達」<SFL-7262>、グラモフォンの「リヴァプール・サウンズ・スペシャル」<SLPM-1263>のように、各社が競って「リバプール・サウンド」のオムニバス盤を発売し、“リバプール・サウンド・ブーム”のピークを迎えることとなります。






liverpool.jpg
ビートルズ、ホリーズ 他/「リヴァプールの若者たち」<OR-7069>64年8月

 数あるリバプール・サウンド・オムニバス盤の元祖がこのLPです。ウィキペディアには、「リバプール・サウンドの由来は、当時の東芝音楽工業(現 EMIミュージック・ジャパン)が1964年に独自に編集した、ビートルズを含む複数のイギリス出身バンドの曲を集めたオムニバスLP「リバプールの若者たち」に由来するといわれている。」と書かれています。誰が言い出したのか知りませんが、確かに“一理ある”指摘ではあります。オムニバス盤だけでなく他の一般的なLPを含めても、このアルバム以前に「リバプール・サウンド」の記述があるLPを私は知りません。“このオムニバス盤にリバプール出身以外のホリーズ、マンフレッド・マン、デイヴ・クラーク・ファイヴなども加えてしまった東芝レコードの商魂の逞しさが誤解を受けるネーミングのきっかけとなった”と誰かさんが考えたのは、案外自然な推測だったのかもしれません。


木崎義二氏の解説に目を通してみましょう。
“すでにビートルズがその第一作「ラヴ・ミー・ドゥ」を既発売していたとはいうものの、1962年いっぱいまでは“リヴァプール音楽”は全然なかずとばずの状態であったわけです。リヴァプールに端を発した“リバプール・サウンド”。本国のあちらではこれを称して“マーシー・ビート”と呼んでおりますが、これらの音楽は、けっして昨日や今日生まれてきたものではありません。早く言えば、リズム・アンド・ブルーズ界の神様チャック・ベリーで代表される黒人音楽や、1959年2月3日他界したバディ・ホリーなどの音楽を、もっと現代的にし、ヨーロッパ・ムードにやきなおしたのにすぎないのです。”

お見事!「リヴァプールに端を発したやきなおしサウンド」とは、ほとんど本質を言い当てているではありませんか。

 「これがリヴァプール・サウンドの決定文!!」

そしてこの解説でさらっと「リバプール・サウンド」という言葉を木崎氏が使ってしまった、と。(命名者発見か?)



続きを読んでみましょう。
“百聞は一見にしかず。このアルバムをじっくりとおききになって下さい。その難題はたちどころに解決することでしょう。
■リバプール・サウンドのディスコグラフィ
さて、それではリバプール・サウンドとかマーシー・ビートと呼ばれるこれらの音楽は、どのような経路をへて今日にいたったのでしょうか。”

残念!既に呼ばれていたようです。やはりライターの木崎氏が安易にこの言葉をつぶやいたのではなく、当然のことながら、ウィキペディアに係った誰かさんもこのライナーを見てはいなかったのです。とりあえず“64年2月から8月までの半年間に木崎・高崎・朝妻の三氏以外の誰かさんによって命名された”ということははっきりしました。

命名者発見という難題は、“たちどころに解決しそう”にはありませんね。

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thisboy1994


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