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「男っぽい音楽」って

rca.jpg                 blues book
久しぶりにボックスを開けたら中から帯が出てきた。 「BLUES RECORDS 1943-1966」
当時は買ったら帯はすぐ捨ててたから、おそらく買取で (LEADBITTER AND SLAVEN)
入手した帯付LPの帯だけを抜いて入れてたのだろう。
男っぽいレコードに施された女々しい行為。




  カントリーの大御所ジョニー・キャッシュには凄く男っぽさを感じます。エレキ・サウンドもつきつめれば男の美学かもしれません。でも私なんか単純ですから、「男っぽい音楽」っていうと真っ先にブルースが頭に浮かんできます。大学時代は「RCAブルースの古典」の2枚組LPをスタートに、洋書店でブルースのディスコグラフィーを買って調べたり、海外の通販リストで戦前のSPを購入したりしてました。ビートルズの源流辿って20年代まで遡りましたね。そういった経歴とは関係なしですが、現在ブラインド・レモン含む戦前ブルースのSP1500枚の買取が進行中です。まとめ購入も含め、興味のある方ご一報下さい。




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 膈月刊誌「ブルース&ソウル・レコーズ」(No.101)にシングル図鑑のレビュー書いていただきました。事前にシンコー編集部からジャケット画像の転送依頼があり雑誌に掲載されるのは知っていたのですが、日暮泰文氏自らが書かれていたのには驚きました(40代前後の中堅ライターが書かれるものと思ってたので)。昭和30年代のディープな日本盤というのは、60代以上の洋楽ライターにとって想像以上にインパクトがあるものなのでしょう。特にシングル盤黎明期の1954年から59年のいわゆる50年代は、戦後とは言ってもまだ裸電球の時代です。電気製品も電蓄よりはラジオが主体。そんな時代の子供達(今の60代)が、レコード店(楽器店)に通ってレコードを目にする機会なんて稀だったはずです。ましてディープなシングル盤なんてお店にも置いてなかったでしょう。

 このレビューの冒頭で、日暮氏は中村とうようさんの死について触れられています。「人間として為すべきことと人生というもののスパンのバランスを考えた上でのとうようさんならではの、ある意味彼らしい決断だったのだろう、と思う。」

大学生だった70年代に「ニュー・ミュージック・マガジン」を貪るように読んでいた人間にとって、中村VS日暮論戦は今でもよく憶えています。確かきっかけはB.B.キングだったと思いますが、最後にはマルクスの資本論なども引用されるその経緯を興味深く見守ったものです。そのことがきっかけとなり、ここ20数年(と書かれてありました。80年代以降の話だったのかなあ・・)はお二人の距離は縮まらないままだったようです。それだけに、ブルースという音楽を日本に定着させたかつての同志に対する日暮氏の言葉には、深い愛情を感じると同時にその無念さも重いほど伝わってきます。







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 はっきり言って、学生時代にとうようさんに出会わなかったら今こうして音楽関係の仕事をしていたかどうかも疑問です。ビートルズ解散後の喪失感を拭い去るべく、音楽的視点や方向性に向けての多大なるヒントを授かった気がします。不易流行。「変わって行く同じもの」を捉える眼力(聴力?)。“これからの音楽に潜む不易”への関心とは逆に、私の場合はビートルズ・ミュージックをより深く理解するために“それ以前の音楽に潜む不易”へ強烈に惹かれて行きました。その過程で出会った様々な魅惑的音楽たち。 


 とうようさんを初めて見かけたのは70年代の中頃。銀座の洋書店「イエナ」で音楽書を物色していたら、隣にいた小柄な人が「すみません」と頭を下げながら割り込んで来ました。とうようさんでした。「とうようズ・トーク」で想像していたイメージとは異なる雰囲気に多少驚きもしましたが、基本的な人間としての謙虚な気質のようなものに触れ、何か嬉しくなったのを覚えています(さすがに緊張して声はかけられませんでしたが)。その後も神保町で速い足どりでしっかりと歩いてらっしゃる姿や(車嫌いで有名でした)、ソニー・ビルでのとうようさん主催のレコード・コンサート、スリーピー・ジョン・エスティスを招聘した第1回ブルース・フェスティバルでの会場等、東京での学生時代に何度かお見かけしましたが、結局お話させていただく機会は持てませんでした。最後に見かけたのは、8年前?の東京レコード祭でのこと。私も参加店として出店していたのですが、若いヒップホッパー達に交じってエサ箱を一生懸命漁っていたとうようさんの姿は今でもハッキリと覚えています。レコード祭には10年振りに参加したとのことでしたが、「若い者には負けんぞ」的なアグレッシヴな表情が印象的でした。結局ラテン系のLP(1万円)を1枚買われただけのようでしたが、“プレミア盤”に対してもそれなりに評価されているような気がして嬉しかったのを覚えています。私からの連絡を受け会場に来た息子(親子揃ってのとうようファン)が会場を後にしたとうようさんを追っかけたけど見逃してしまい、持参した「雑音だらけのラヴ・ソング」にサインしてもらえず残念がっていたこともついこの間のことのように思い出します。


 学生時代に読んだ「とうようズ・トーク」に、「男っぽさ」について太宰治の言葉を引用されていたことがありました。太宰が「男性の本質はマザーシップ“優しさ”である」と学生だった吉本隆明に伝えた、と。そしてとうようさんはこう補足されていました。「優しさやテレが男の属性であることは、ほかにもいろんな人が言っている。優しさのほうは、女性にも女性なりの優しさがあることを認めてもいいかもしれないが、テレとなると、これはもう絶対に男のものなのだ。」   


 今は故人となられたある有名な音楽評論家の奥さんからお聞きしたことがあります。「とうようさんは本当にシャイな方で、話しかけても口ごもられることが多いんですよ。」その昔に「素晴らしき仲間達」というTV番組で、しばたはつみさんと二人で楽しそうに旅してた映像も見たことがあります。活字から受けるイメージや内容で煙たがる音楽猛者は多かったと思いますが、私などは割と好意的に文章読んでた気がします。普段は温厚でもペンを持つと(キーボードに触れると?)ワイルドになる方っていますからね(好意的表現?)。


「ミュージック・マガジン」の9月号に湯川れい子さんの追悼文が掲載されていました。82年にマイケル・ジャクソンの「スリラー」に0点を付けたとうようさんに対し、LP解説を書いた湯川さんが「マイケルは黒人音楽が失いつつあるフィジカルな力、踊ることの重要さにあえて視点を置いて、アメリカ音楽の主導権を握ろうとしているのよ。これは凄いことで、まさに歴史に残るアルバムだと思うわ」と反論したところ、とうようさんは、別にムッとする様子もなく、少し頬を染めて、「うーん、そうかあ。それじゃあ今度れい子さん、ぼくにレクチャーしてよ」と言われたとのこと。分かるなあ、その雰囲気。

 
 「レコード・コレクターズ」や「ミュージック・マガジン」には、オークション告知がメインですが20年以上に渡って広告してきました。とうようさんもお店の名前くらいはご存じだったと思います。シングル図鑑の「54年・55年発売」のコーナーやジョニー・レイ、パティー・ページの日本盤は、とうようさんに見てもらえればと意識して選別もしました。見てもらえたかどうか分かりませんが、焦りながらも存命中に出版出来たことが今となっては何よりの救いです。これからいろんな人がいろんなことを書いて行くんだろうなあ。ビートルズといっしょで、他人の解釈にどうしても100%は納得できないパーソナルな想いを引きずり続ける、そんな存在になって行く気がします。             








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今では3年に1度くらいしか会うことがなくなった大学時代からの親友M君と
「とうよう展」で。彼が社会人になってからも、「レコード・コレクターズ」ではなく
“とうようズ・トーク”を読むために「ミュージック・マガジン」を購読し続けていた
ことをこの日知った。
プロフィール

thisboy1994


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 1952年広島県安芸津町生まれ。獅子座のAB型。ビートルズをたまにしか聴かないビートルズ・フリーク。
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