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ピー復活タイガースの1曲目は「ミスター・ムーンライト」だった

 ここ最近はオークション落札品の発送作業に追われてました。ほぼ落ち着いたということで、昨年のジュリー(復活タイガース?)・コンサートの話でも。




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 24日に行われた41年振りのタイガース武道館コンサート、無事終えたようです。タイガース・ファンには周知の事実ですが、1971年のタイガース解散コンサートを最後に、ピーこと瞳みのる(本名 人見豊)は他のメンバーとの交流を一切シャット・アウトし1年の浪人生活を経て大学に入学します。その後卒業してからは、中国語の高校教師として芸能界とは真逆ともいえる人生をスタートさせます。そして教師生活も30年を超えた2008年、突如転機は訪れます。NHKテレビ「SONGS」でジュリーがピーに捧げて歌った「Long Good-Bye」を契機に、38年ぶりにピーはタイガースのメンバーと再会したのでした。今回の復活コンサートを夢に描いたことはあったかもしれないけど、現実のものとして予想できたメンバーははたしていたのでしょうか。




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THE TIGERS WITH THE BEATLES

 元フォー・メイツの河原さんのお誘いで、音楽仲間Sさんと3人で参加した「沢田研二コンサート(ゲスト:瞳みのる、岸部一徳、森本タロー)イン・広島」は、昨年10月6日のことでした。タイガースのメンバーとは「シャボン玉ホリデー」で幾度か一緒に出演したり、ジャズ喫茶でも共演してる河原さん。学生時代に2度もタイガースのコンサートを見ているGSフリークのSさん。そんなお二人に若干の負い目を感じながらも、芸能人見たさの好奇心(?)も手伝ってお供しました。当然のことながら、会場前に並んでいたのは孫がいるかもしれないかつての少女達が8割。それらに交じってオヤジの顔がちらほら。私達もそのちらほらに仲間入り。それにしても何だったのでしょう、あの熱気は。おそらくそれはゲスト出演者によって仕掛けられた“復活タイガース”を意識してのことだったのでしょうし、さらに突き詰めれば、ピーの奇跡的とも言える40年振りの参加がもたらした「タイガー・マジック」に他ならなかったと思います。


 会場は既に超満員。高校生のときお気に入りだった「風は知らない」は歌ってくれるのか、「美しき愛の掟」のベースはうまくこなせるのか?そんな不安や期待にわくわく胸を躍らせていると、大歓声の暗闇の中、ついにメンバー登場。そして始まったステージ1曲目は、何と「ミスター・ムーンライト」。カヴァーはストーンズものと予想していただけに、完璧に意表をつかれてしまいました。タイガースがデビューした67年には、既に完璧なビートルズ少年。GSそのものもちょっぴり小バカにして見ていた生意気な中学生でした。デビュー曲の「僕のマリー」をTVで放送した初映像?も確か見ましたが、その時はそれまでのGSにない清潔感は漂っていたものの特別のオーラは感じず、バンドとしては70点ぐらいの印象でした。ただストーンズのカヴァーをテレビで歌ってるのを見て、「洋楽好きなんだ」と嬉しくなったのを覚えています。その後もビージーズと親交を持ったりしてましたが、僕の中ではタイガースとビートルズは繋がっていなかったのです。それだけに個人的にはかなりのインパクトでした。さらに「ドゥー・ユー・ラヴ・ミー」「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」(やっとストーンズ)「ビコーズ」「サティスファクション」と洋楽ロックのオン・パレード。そしてカヴァー曲の締めは、赤いジーンズが眩しいピーの歌う「ジャスティン」(これぞロックン・ロール!)。正にファニーズ時代の再現だ!!タイトかつワイルドなドラミングに、ステージ見たこともないのに、“当時のまま”と何故か確信出来たのでありました。ピーと一緒にステージに立って、本当にジュリーは嬉しくてたまらないといった表情。サリーもベース頑張ってたなあ。その後に続いた本命タイガース・メドレーより、個人的には大感動の6曲でありました。




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ライチャス・ブラザース/ジャスティン<HIT-1300>

 コンサート終了後、河原さんに楽屋に連れて行ってもらいました。いきなりトイレから出てきた人見氏とバッタリ遭遇。本当に65才?このピチピチな爽やかさ(失礼)はいったい何なんだ!ファッションは、正に映画「ヘルプ」イントロのリンゴそのもの。河原さんとの会話に便乗して、厚かましくも自己紹介。たまたま大学が同じ1972年の入学で、その頃の話を二言三言。さらに感動した「ジャスティン」について訊いてみたところ、「僕達はライチャス・ブラザースのヴァージョンを参考にしてるんです」とのことでした。他に歌ってる人いたかなあ?とその時は思ったのですが、後で気付きましたよ。そういえばオリジナルは大好きなドン・アンド・デューイでした。ステージのカヴァー曲はデイヴ・クラーク・ファイヴとかの60年代ロックばかりだったので、ツアー道中のひまつぶしに眺めていただければと「LP図鑑」を差し出すと、どこの馬の骨かも分からない人間に対し、「ええ?いただいていいんですか?」と誠実口調の人見氏。その言葉にすっかり感動してしまいました。別れ際に「ドラム凄かったですよ。日本のキース・ムーンですね。」と声をかけると、ちょっぴり照れたような優しい笑顔が印象的でした。その時はキース・ムーンってピンと来なかったのかなと思ったのですが、その後調べたら、現役時代のインタビューでフェイヴァリット・ドラマーにキース・ムーンを挙げているんですね。今さらながら凄い人だったんですね。おぬし、頭が高いぞ!はぁ~~
(でも赤恥の的外れなこと言ってなかってよかったです、ハイ)





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ファニーズ時代

 構成メンバーの黄金比率というものを最良の形で満たしていたバンドが、アマチュア時代のファニーズや初期タイガースだったような気がします。先日放送された「SONGS」“沢田研二、タイガースを歌う”での四人の対話のなかで、サリー(岸部一徳)は「60代になったからこうして再会できた気がする。元々こういう人間だったということが音楽をやっているとわかる。そこに戻ることが出来てよかった」と語っていました。「Long Good-Bye」の歌詞にある、“本当に本当に楽しくて いつもいつも一緒にいた 永遠に今が続いていくと思っていたあの頃に”とは、間違いなくその時代のことを歌ったものでしょう。決して難しいことを話していたわけではないのに、四人それぞれが哲学者のごとく抑制された言葉を使っていた印象を受けました。

「甦る青春」なんて簡単に言いますが、普通それは一時的なもの。10代の時に共に憧れた音楽への情熱や仲間意識がどれだけピュアーであったのかは、その後の超多忙なプロ生活や途方もないブランクを経て、今こうして楽しくツアーを再開出来た“現実”が証明しています。それまで真空パックされていた「青春のエキス」のようなものを、60代になってお互いが余裕を持って確認し合えたのでしょう。「SONGS」のラストで歌った「明日への誓い」。各メンバーの歌声・演奏・表情には、数ある再結成バンドでも一度も醸し出せなかったのではないかと思われるほどの柔らかな空気が漂っていました。


また 新しい夜明け むかえに行こう
夜の向こうにぼくらの 夜明けがまつよ



 40年近い空白は無駄ではなかった。



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