ブラウン管の記憶

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大村亨著「ビートルズと日本 ブラウン管の記録」(シンコーミュージック)


 出ました!大村本、第2弾。今回はビートルズ現役時代に日本で放映された“関連テレビ番組”にスポットを当て、新聞・週刊誌等から抽出したものをリスト化し(これだけで充分意義あり)、それらの番組に関して書籍・雑誌や当時番組を見た人の証言等で肉付けしたものです。ビートルズ関連テレビ番組に特化した書籍は、本国はもとより、おそらく世界的に見ても例がないのではないでしょうか。各記事に補足される大村さんのコメントやコラムは、後追い世代としての冷静沈着さを基本キープしつつも、その背景にたまにビートルズ愛が見え隠れするところに好感が持てます。半世紀も前に、遠く離れたアジアの孤島に届いた英国マジカル・ミステリー・ミュージック。今や“世界遺産”とまで呼ばれる境地に到達したポール・マッカートニーの出発点となったバンド。その魅力をキャッチした一部の若者と当時の社会通念との隔絶。時代に葬り去られた真実を掘り起こすことへのあくなき探求心とビートルズ愛。根底にそれがなければ、ある意味こんな前代未聞の書籍が出来るわけがありません。

 英本国のビートルズ情報は基本的なアーカイブ化が進んでいて、そこからいろんなネタを切り取り整理し分析した書物が多数存在します。一方日本との関わりに焦点を当てたものは、香月利一氏の「ビートルズ事典」(74年)以来、長年頓挫したままであったような気がするのです。異国のバンドであるだけに材料が乏しく、日本史として膨らませるべくミクロ的とも言える当時の記事に着眼したわけです。昨年センセーションを巻き起こした“熱狂の記録”と今回出版された“ブラウン管の記録”の2冊(「赤本」「青本」との呼称も既に出ているようですが)により、ビートルズ日本史としての基礎固めが大きく膨らみ、ほぼその完成をみたといっても過言ではないでしょう。






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刊行記念トーク・ショー(日本の将来を牽引するビートルズ研究家、藤本・大村の両氏)


 ビートルズ日本史と一口に言っても、「ビートルズと日本」が対象にしているのは、あくまでビートルズの現役時代における日本史です。アジアでほぼ唯一のコンサートが開かれたことが何より大きく、それに対する社会的反応がかなりのウエイトを占めています。藤本さんとの刊行記念トークショーでも、「メディアの報道として、ビートルズ関係の記事は66年の5月〜7月初旬の間に集中しているということ。その3ヵ月間で、僕が調べた63年から70年までの全体の量の約1/3を占めているんです。」と語られており、来日公演がきっかけとなって広がった関連記事や公演がもたらしたその後の影響力の大きさを考えると、来日がなかったら本書のヴォリュームは半減していた気がします。






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大村崑氏所有と同型の家庭用ビデオ・コーダー
鳥塚しげき氏も家庭用レコーダーで来日映像を記録したという噂がある。



 今回の“ブラウン管の記録”で興味深かったのが、前作“熱狂の記録”の出版がきっかけとなって新たな記録が導き出されたという事実です。60年代におけるテレビ番組の映像はテレビ局でもほとんど消去されており、前作を踏み台として情報が入って来た大村崑、岩堀敬両氏の家庭用ビデオ・レコーダーや8ミリ・フィルムによるテロップ入りの「日本公演」や「エド・サリバン・ショー」の映像記録発掘は、本書の一大スクープとなっています。本書がリアルタイマーの個人的記憶(きおく)を喚起し、それによって今後さらなる記録(きろく)が表面化して来ることを願うばかりです。







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「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」収録の『ワイルド・ワンズの世界』<CPC-8007>


 今回改めて確認したのが、当時放映されたビートルズ関連番組の多さです(500番組以上!)。一方、個人的な記憶として残っているのは以下の3番組のみ。
① 64年上期    NHK「海外ニュース」(or 南海放送「国際ニュース」)                   
② 66年7月 1日 南海放送「ザ・ビートルズ日本公演」
③ 67年6月26日 NHK「われらの世界」  

それ以外ほぼ記憶がありません。民放が南海放送1社のみだったとはいえ、あまりに情けない地方ファンの悲しさよ。「エド・サリバン・ショー」もまだビートルズに開眼する以前のことで(南海放送で放映したかどうかも不明ですが)、チョコレートのCMも言われてみたらそんなのがあったようななかったような・・。「ハロー・グッドバイ」や「ヘイ・ジュード」の映像は当時確かに見ましたが、それが「スター千一夜」や「ヤング720」だった確信が持てない。とにかく曖昧な記憶は断固排除するという、プチ研究者としてのプライドがあるのです(笑)。老化による記憶消失もあるかもしれません(笑えない)。当然「シャボン玉ホリデー」「ザ・ヒット・パレード」「歌のグランド・ショー」「夢であいましょう」「ホイ・ホイ・ミュージック・スクール」「アベック歌合戦」「ミュージック・フェア」「小川宏ショー」「スター千一夜」「ヤング720」「ステージ101」といったバラエティ番組は見ていましたが、ビートルズ関連の回は見落としているようです。私がはっきり記憶しているのは、ワイルド・ワンズが「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」とホリーズの「恋のカルーセル」を歌っていた番組です。番組名は覚えていないのですが、巻末の「出演+関連」放映リストには掲載ありませんでした。当然新聞のテレビ欄に出演者の演奏曲目が全曲掲載されているわけではありませんからね。日本語カヴァーでは、谷啓が「カム・トゥゲザー」を“いっしょに来い~♪”と歌ってるのを見た記憶があります。ワイルド・ワンズは間違いなく60年代末ですが、谷啓は71~2年のことかもしれません。


 リアルタイマーの常套句に「ビートルズはテレビで見ることなかったから、ラジオのポップス番組をチェックし、ひたすらレコードに没頭した。」というものがあります。いくら関連番組がメインとはいえ、ここまでリスト化したものを見せられると、正直リアルタイマーとしてのプライドのようなものが若干萎えてしまいます。あの時代、たまたま見てたテレビから「ビートルズ」という言葉が聞こえてきたら、間違いなく心臓バクっとしないわけないのですから、おそらく番組見落としているのでしょうね。まあテレビ番組と縁がなかった分、あくまでも本命としてのレコードは間違いなく擦り切れるほど聴き込んだわけで、それでこそあの乏しい環境でしか得られないものが体験出来たと思っています。音楽としての矢の刺さり方がとてつもなく深かったわけですから(負け惜しみ?)。






おしどり
美空ひばり 他/『おしどり・イン・ザ・ナイト』<JPS-5092>
「オール・マイ・ラヴィング」他ビートルズ・カヴァー4曲収録あるも、
ひばりのカヴァーはなし。残念。



リスト見て、是非映像観てみたいと思ったものを列挙してみます。

64年 4月24日 東京ビートルズ/抱きしめたい(木島則夫モーニング・ショー)
   5月19日 スリー・ファンキーズ/抱きしめたい(ザ・ヒット・パレード)
   6月30日 麻生京子/シー・ラヴズ・ユー(ザ・ヒット・パレード)
   7月26日 尾藤イサオ/ツイスト・アンド・シャウト(歌のグランド・ショー)
  11月10日 水原弘/愛なき世界(ザ・ヒット・パレード)
  11月28日 坂本九/キャント・バイ・ミー・ラヴ(踊るウィークエンド)
65年 2月13日 キューピッツ/家に帰れば(ホイ・ホイ・ミュージック・スクール)
   3月 9日 槙みちる/アイ・フィール・ファイン(ザ・ヒット・パレード)
   3月30日 いしだあゆみ/ロックンロール・ミュージック(ザ・ヒット・パレード)
   5月 5日 加山雄三/抱きしめたい(スターの広場)
   12月16日 バークラー/ノー・リプライ(ビッグ・ヒット・ショー)
66年 6月19日 スパイダース/ミッシェル(スパイダース・ショー)
   6月27日 フランス・ギャル/ ? (11PM/ビートルズ作戦)
   8月 7日 フォーメイツ/ガール(シャボン玉ホリデー)
  12月 2日 東京ビートルズ/ロール・オーバー・ベートーベン(ヤング720)
  12月 9日 青江三奈/カンサス・シティ(歌うバラエティ)
67年 5月 2日 弘田三枝子/ペニーレイン(ヒット・キット・ショー) 
68年 7月15日 美空ひばり/オール・マイ・ラヴィン(美空ひばりショー)







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「ミッシェル」を熱唱するフランス・ギャル!?

 私が自慢といえるほどの記録は持ち合わせていないのですが、以前「シャボン玉ホリデー」にもよく出られていたフォーメイツの河原さんからいただいた60年代の写真があります。これは当時カメラマンから譲り受けたもののようですが、河原さんからは「シャボン玉ホリデー」に出た時の写真かもしれないと聞いていました。調べたところ「シャボン玉ホリデー」には出演した記録がなく、本書で66年6月27日に「11PM」の“ビートルズ作戦”にボブ・マグラスと共に出演していたことを知った次第です。大村さんからの情報によれば、当時フランス・ギャルは日本テレビ「ジャニーズ・セブン・ショー」にも出演していたようで、この写真が“ビートルズ作戦”の時のものとは断定出来ませんが、夢は持ちたいものです。

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デヴィッド・マッカラム来日時のフォト(マッカラムの真上が河原さん)








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60年代中期の米屋
この2階の部屋で来日公演予告を見ました。
 


本書の「関連番組」P327に私の記憶が書かれてあります。
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当時『ザ・ビートルズ日本公演』の予告を見たという証言がある。はっきりした日付は不明だが、日中に放映されたもので画面は静止画。『ミュージック・ライフ』掲載のレコード会社の新譜広告のような構図で、BGMは「ミッシェル」ほか数曲がメドレーで流れていたようである。
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この記憶は、同じく“熱狂の記録”P29でコメントされた「初めてビートルズを見た日本人」に関するラジオ番組の記憶とほぼ同レベルの確かなもので、ラジオ番組の記憶が正しかったことは前書出版後に片岡義男氏本人の証言で証明されました。当時南海放送の予告を8ミリ・フィルムで撮影された方の映像、WANTED!


 まあいづれにせよ2冊の「ビートルズと日本」が出版されたことは万々歳。めでたし、めでたし。“ビートルズ愛に根差した”なんて60代のオヤジが口にする賞賛が胡散臭ければ、(本人は照れて嫌がるかもしれませんが)最後に大村さんにこの言葉を贈りましょう。


着眼点のセンスはタモリ的であり 実行力のパワーはポール的である


PS
祈出演「タモリ倶楽部/ビートルズと日本記事」

 「ワン・オン・ワン」はポール対ジョンにあらず   

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 ポールの「ワン・オン・ワン・ジャパン・ツアー2017」(東京ドーム)に行ってまいりました。何たってオープニングがジョンとポールの掛け合い曲「ハード・デイズ・ナイト」ですからね。コンサートに参加したという黒柳徹子さんの「残った者の務めとはこういうものかと深く感動した」というコメントがすべてを象徴しています。2017年に、“70代のロッカーが現役バリバリでワールド・ツアーをする”という奇跡の記録更新を確認出来ただけで充分でしょう。昨年の4月~10月39公演のテンションをそのまま継続し続ける74才のパワーに、ただただ感服するのみです。





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  しかしながら振り返って考えてみれば、60年代にあれだけパワフルな音楽を作り上げた人ですから、現在の在り方も当然といえば当然の結果なのかもしれません。その偉大さを120%認めたうえであえて正直に告白すると、個人的に完全燃焼出来なかったのも事実です。それは巨大アリーナでの立ちっぱなし観戦による体力的消耗だけでなく(ポールに失礼だぞ!)、ポールをビートルズ分子としてしか認識出来ないリアルタイマーとしての悲しき習性が起因しているのではないかと思えるのです。極私的なポール観戦史、ちょっと振り返ってみます。初めてポール来日を意識したのは75年の初来日報道が当然最初で、この時はチケット予約の電話がまったく通じず、断念しようかと迷っているうちに気が付いたら中止が発表されていました。その後は怒涛のサラリーマン生活に突入したこともあって、ソロ・ビートルとしてのポールへの想いすら徐々にトーンダウンしてゆき、脱サラ後もそのトーンは基本覆されることなく結局90年・93年のライヴも不参加。初参加した02年の大阪ドームでも、アリーナ後方という悪条件で小っちゃなモニターを立ったまま最初から見続けることにほとほと嫌気がさし、コンサート中盤でリタイアするという愚行をしでかしてしまいました。基本的に70年の解散と同時にビートルズそのものと心中したような人間にとっては(71年のツェッペリン広島公演でさえ、(ビートルズと比べて)才能ない奴らだなあと思って観てました)、ある種の“欠落音楽的感覚”が拭えなかったのですね。今から考えれば、ジョンのソロに対してもそうだったような気がします。熱烈な若いポール・ファンからすれば、ちっぽけなプライドにしがみついているだけの哀れなポール・ファンなのかもしれません。






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藤本国彦著「ビートル・アローン」(レコードコレクターズ増刊)

 そんなスタンスを引きずりながらも、大きな変化を感じたのは私が60代に突入してからのことでした。残されたビートル・アローンとしてのポールが、ジョンやジョージへの想いを背負ってばく進しているパワーに胸打たれたんですね。長年の空白を埋めるべく参加した15年の京セラドームと武道館で、それまで抱いていた個人的偏見をほぼ排除すことが出来たように思えました。ブログ「風に吹かれての命名者」がきっかけでお付き合いさせていただくことになった藤本国彦さんの新著「ビートル・アローン」のあとがきに、「二人になったビートルに、もう一言。オール・スター・バンドにポールに入ってもらうわけにはいかないだろうけれど、ポール&リンゴ名義でツアーやってほしい。」と書かれてありました。ポールの真の偉大さをソロ・デビュー以来冷静に見続けて来られた藤本さん。さすが願望も現実的!と感心してしまいました。私なんか、「もし76才のジョンが生きていて74才のポールと「ハード・デイズ・ナイト」をハモってくれたら、それが仮に老いぼれハーモニーであろうとも、きっと卒倒するに違いない」と未だにノーテンキな夢想をしてしまうんですから。(あっ、いかん。ソロ・ビートル幻想、全然排除出来てないや)






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ダリル・ポール&ジョン・オーツ と読み替えてみた(情けない)





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もっと気の利いたショットはないのか(入場前)



WELCOME BACK、PAUL!

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  やっと年一度のオークションから解放され、しばらくのんびりしていたらあっという間に3月突入。かろうじて今年度のアナログ貴重盤もスタートしましたが、昨年末から引き続いての買取続行でなかなかブログもアップ出来ない状況でした。ごらんのとおり業界盤の山で、同一アイテムが複数あったりもします。オークション・リストに掲載したレア盤『スプリング・ファースト』も、今回アナロク貴重盤にアップしたものも加えると最終的に3枚ほど買取したことになります。ビートルズのテスト盤もかなり揃っていますが、これらは70年代EAS盤につき2017年度のオークション・リストではとりあえずセットセール用となると思われます。ただしテスト盤に付いているサンプル用ジャケにはプレス日の記録があったりで、それはそれで貴重な資料にはなりうる気がします。




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鳥塚しげき/『故郷へ帰ろう/スーパー・セッション』<ETP-8156>
一瞬ジョンの『平和の祈りをこめて』のレアなセカンド帯かと思ったが・・。
右上のPTSシールがポールの『ラム』っぽい。



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紀 比呂子/『比呂子の歌とおしゃべり』<TP-8149>
ナレーションの一言にシビレる
「あなたの好きなものなにってよく聞かれるんだけど、
 そうねえ 一番に 海 それから 太陽、 家、   ビートルズ!」







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『ミート・ザ・バッド・ボーイズ』<ETP-8269>

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 日本初のビートルズ・コピー・アルバム『ミート・ザ・バッド・ボーイズ』は、コピーバンドの元祖東京ビートルズの「抱きしめい」発売から9年以上も経過した73年9月25日の発売で、10月1日に東芝音楽工業から東芝EMIに社名変更する直前のLPにあたっています。このサンプル盤を見ると、ジャケットと歌詞カードは既に東芝EMIと印刷されていますが帯は東芝音楽工業のものが付けられています。社名変更する過度期には変則不一致なアイテムが各社多いのですが、サンプル盤であるだけにドッキングは考えにくいところです。このあたりが業界盤としての価値とも言えます。ということで、『ミート・ザ・バッド・ボーイズ』には東芝音楽工業のジャケットは存在しない可能性が高いと言えるのではないでしょうか。これが本家ビートルズ盤だったなら、いろいろと物議を醸し出すコレクター泣かせのアイテムとなるわけです。(バッド・ボーイズでよかった)





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TEDDY BOY/『Play The Beatles』<LRs-383> 
サイン入りもラトルズ的パロディ精神か?
  

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  この『ミート・ザ・バッド・ボーイズ』からおよそ1年後に、『TEDDY BOY!(Play The Beatles)』という自主盤が作られています。意識はしたのでしょうが同じ東芝EMIで委託製作されたもので、タイトルの字体や“!”を付けたところなどバッド・ボーイズのLPと酷似しています。ただバンド名にSを付けなかったり、レーベルもアップル・テイストなシャレの効いたデザインが施されていたりするところにはビートルズ的な独自性とセンスを感じさせます(考えすぎ?)。初期のヒット曲に加え「THIS BOY」「ACT NATURALLY」「DEVIL IN HER HEART」「TILL THERE WAS YOU」といったマイナー曲も収録されていたりして、ビートルズ・コピーバンド研究家(そんな人いるの?)には気になるLPとなっています。コピーバンドとしての音楽的な仕上がりも、いい意味でのアマチュアリズムを感じさせる素敵な出来のアルバムと言っていいでしょう。日本のビートルズ・コピーバンドのLPは以上2枚しか存在しないと思うのですが(インスト物除く)、そう考えると自主盤とはいえこのレコードの存在は貴重です。このLPはかつて「プレミア・レコード図鑑」の激レア・ギャラリーのコーナーで紹介したことがあり、そんなこんなの縁で、4年前にメンバーの方から“TO THIS BOY FROM TEDDY BOY”と題したお手紙をいただいたことがあります。同じ大学のほぼ同年代の方で、ひょっとしたらキャンパスですれ違ったこともあったかもしれない人でした。手紙の最後にはこう絞められていました。



あの本のおかげで、箔が付いたと言えば宜しいのでしょうか?
青春を肯定(笑)する事が出来ました。深く御礼申し上げます。


ビートルズを介しての縁・出会い。これからも続いて行くのでしょう。







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  昨年末に(またまた)発表されたポール2017コンサートのチケットが1月中旬に見事当選。まだまだバリバリで80代になってもライヴ出来そうな予感もするのですが、ポールのコンサートについては長年スルーしていたこともあり、その空白も埋めるべく今年も参加することにしました。当選直後はちょうどオークション落札レコードの発送時期とぶつかり、連日遅くまで梱包作業に追われついうっかり払い込みを失念しておりました。チケット送金締め切りに気づいたのが、締切日リミット3時間前の夜9時過ぎ。慌ててコンビニ駆け込みました。その後のチケット発券手続きでは、余裕をみて早めにコンビニへ。窓口でチケット受け取って席を確認したらアリーナS席の6列。昨年のリンゴ広島公演の7列に続く一桁の番号にビビっと反応し、女性店員に

「これ6列ですね・・。」
「あっ本当、凄いですね。」
「6列といったら、6列目ですよね。」
「・・・、そうですね。誰のコンサートですか?」

ポール・マッッカッットニーです。」(ちょっと力入った)

「ええ~、凄いじゃないですか!どこであるんですか?」
「東京ドームです。」
「ええー、さすがですね~。私なんか、広島のグリーンアリーナぐらいしか行ったことないです。」

誰のコンサートかなんて聞きもせず、再び
「アリーナの6列といったらひとつしかないよね?」
(急にフレンドリーになったはいいが、訊く相手間違ってないか)
「・・・、ですよね。」
「本当かな~。ちょっと凄いんじゃない?」
「それは凄いですよ!」
「“ポール6列出ました!”の張り紙、ウインドウに出す?」
「そうしましょうか(笑)」

いい娘じゃないか!(Ain’t She Sweet


喜び勇んで、「ビートルズと日本」続編出版の追い込みで忙しい大村さんに電話。
電話繋がる直前に“B16ブロック”という文字が目に入る。(嫌な予感)

「アリーナ6列のチケットが取れて喜んでたんですが、B16ブロックと書いてありますね。
そうか・・。アリーナ6列は一つだけじゃあないんですね?」
「ひとつじゃあないですね。でもBブロックならなかなかの良席ですよ。肉眼でポールの顔見えるんじゃないですか。」

東京ドームはこれまでストーンズの初来日と数年前のライヴの2回ほど行ったことがありますが、いずれも2階の最後列に近い席だったため座席表の番号配列なんて意識したことはありませんでした。その夜大村さんから届いた東京ドームの座席表で、アリーナ6列は100席ぐらいあることがしっかりと確認されたのでありました、とさ。

ビートルズ(ポール)を介しての喜怒哀楽ならぬ“喜と哀落”。なんちゃって







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今回の同LP3枚買取ではないけど、15年近く前、北海道に買取出張しレコード卸の方から7枚同時に買取した『サージェント~』デッドストック残りの1枚。7枚並べて写真撮っておけばよかった。

 64歳の「ビートルズ老人年齢」に突入したかというように、テレビの小さな文字が見えにくくなりました(ってこれは単純に近視か?ポールの顔肉眼で見えなかったらどうしよう・・)。異常体質かと思えるほど頭以外の老化は進んでなかった気がするのですが、いよいよ。でも相変わらずダジャレのセンス?とレコード買取のセンスは健在です。今年もよろしく!(3月ですが)

  サージェント・ペパーズ50周年

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謹賀新年

今年もよろしくお願いします。

 ビートルズ・バカ人間にとって、今年はアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が発売されて50年という節目の年になります。正直に告白すると、何故かこのアルバム、それほど思い入れがないんです。当然ビートルズの新作lLPということで、当時の半端ない期待感ははっきりと覚えています。このLPは友人のS君がいち早く買ったのを借りて聴き、結構それなりに惹き込まれはしたものの結局自分では買いませんでした。で、考えてみたら、当時リアルタイムで買わなかった(買えなかった)LPは、「NO.5」「ビートルズ物語」「イエロー・サブマリン」とこの「サージェント~」だったんですね。当然大学生になって直ぐLPを買って聴きまくったのは確かですが、発売されたとき中学3年でシングル・メインの時期だったとはいえ、このLPを高校生になって買わなかった(買いそびれた?)のは今から考えると不思議な気がします。でも家に姉のピアノがあった関係で、LP持ってないくせに何故か楽譜だけは買ってたりするんですね。楽譜をそのまま完璧に弾けたのではないのですが、適当にギター・コードをピアノに置き換えてガチャガチャやって楽しんでたんですよ。不思議でしょ?というわけで、この「サージェント・ペパーズ~」は、、私にとってエアポケットに落っこちたような感覚のアルバムなんです。







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 さて、年頭の戯言(たわごと)はこれくらいにして、オークションの告知です。やっとリスト発送しました。大変お待たせしましたが、ネット公開もしておりますので参考にして下さい。私にとっても久々にゆっくりできる凪のような10日間.。皆様の熱いレコードへの想い、期待しております。本年も何卒よろしくお願いいたします。

2016年度オークション・リストまもなく完成

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「レコード・コレクターズ」2017年1月号広告

 28年目の冬をむかえております。こんなハードなことあと何年出来るんだろうとリアルに考えながら、1500枚近いレコードの検盤・リスト入力・画像撮影ほぼ終えました。仕上がりは年明けの上旬となりますが、申込の締め切り予定1月17日を考えると、かなりの短期決戦となりそうです。売る側も大変ですが、買われる側もさぞ入札額には頭を悩まされることであろうと同情いたします。












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 ビートルズ来日50周年に歳甲斐もなくはしゃぎ、カープ優勝に熱狂した2016年。黒沢健一さんが亡くなられた。


と書いた後、しばらく何も書けなくなってしまった.。まだ私にとって冷静に語れる時期ではないのでしょう。ほんの半年前にビートルズのデビュー盤のことを電話で話していたし、病状が発表されてからも黒沢さんの想いを背負ってリンゴの広島公演に参加してわずか1ヶ月ほどのことでしたから。大好きなレコードを介してだけの交流でしたが、それこそL⇔Rデビュー直前から四半世紀に渡ってお付き合いさせていただきました。世代は違えど、ビートルズを起点にしたオールディーズへの傾倒には強烈なシンパシーを感じていました。ご冥福をお祈りいたします。

プロフィール

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●店長「菅田」
 1952年広島県安芸津町生まれ。獅子座のAB型。ビートルズをたまにしか聴かないビートルズ・フリーク。
●スタッフ「オイリー」
 A型、初代ミス・ジスボーイ、元ユニコーン(及び新日本プロレス)・ファン
●スタッフ「モンリー」
 A型、元PANTA FC会員(’83~'01)

●スタッフ「スーザン」
 B型、2代目ミス・ジスボーイ、初レコ:中森明菜

●スタッフ「白井」
 O型、趣味:釣り、初CD:フランキー・ヴァリ&フォー・シーズンス

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