When I’m Sixty-Four

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私たちは巨大オブジェのふもとにたどり着いた遊牧民か?

  気が付いたらこんなもの作ってしまいました。何がどうしてこうなったのか。ただ単純に「ビートルズ来日50周年」を迎えてしまったということに尽きるのですが、半世紀も己の生きてゆく糧であり続けてくれたことに対する再確認。何かしたい。想うだけでなく、“DO”したかったんですね。






りばぷーる
25年近く前、広島ブルージーンズでライヴしたこともあります。

 ことの発端はこうです。出戻り移転して2度目の春を迎え考えました。ジスボーイをオープンして22年。でもわが商売の基本は、この安芸津町で28年前の夏にスタートした通販レコード・オークションをベースとして成り立っています。それは28年間一貫しています。全国を買取で駆けずり回り大好きなレコードとの出会いに一喜一憂してきた日々は、それなりに影での苦労はあったものの、音楽バカにとっては何ともシアワセなことだったのではなかろうかと感謝しています。一方地元の安芸津町に目を向けてみると、相次ぐ市町村合併の流れを受けて、11年前にはそれまで半世紀近く続いていた「豊田郡安芸津町」から「東広島市安芸津町」に名称変更し、その後は過疎化路線をまっしぐら。「旧OO郡OO町」と「旧OO市OO町」は同じ“町”でも、我々旧郡町人?にはそれなりの地域文化を担っていた誇りのようなものが残っているんですね。東広島市そのものは全国的にも人口増加が目立つ躍進学園都市ですが(ゆえにジスボーイはその中心地でスタートしたのです)、当然のことながら中心部への予算配分がメインで旧郡町はどんどん活気を失っているのが現状です。出戻り移転後に来店されるのも、お店がマニアックなだけに半分近くが市外からのお客さん。でも自分なりに何か地元の活性化に貢献出来ることはないものかと考えていた矢先、ガソリン・スタンドのオーナーMさんが発した一言が私に火をつけました。「アビイ・ロードを作ろうと考えてるんです。」よくよく話を聞いてみたら、駅前をアビイ・ロードと似た街並みに作り変えてみたい、ということでした。当然町おこしの一環としてなのでしょうが、「造園業者も同じ樹木を植えるため県土木への申請を考えている」とかなり具体的な内容のものでした。いろいろ問題も抱えているようですが、「ビートルズを絡めた町おこし」の発想をする人が同じ町内にいたことにどれだけ私が勇気づけられたことか。考えてみたら、町内にはビートルズ好きの初代オーナーが作ったレンガ造りの「りばぷーる」という喫茶店があったりもします。まあビートルズに拘ることはないけど、レコード・ネタで何かやってみよう、そう決心しました。






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 隣接した呉市という街に、「大和ミュージアム」という呉が生んだ世界最大の戦艦「大和」を中心に近代日本における造船・科学技術を紹介する海事歴史科学館があります。入場者は年々増え続け、今では年間100万人を超える集客を誇っています。オープンして10年を過ぎていますが、いつでも行けると考え未だ足を運んだことがありませんでした。遠方からの来客に地元の観光スポットを紹介するためにも一度見ておく必要があると考え、懇意にしている知人二人が東京から来店した際一緒に出掛けてみることにしました。このミュージアムの売りは、何といっても10分の1スケールの戦艦大和モデル。館内でこれをジーっと見ていてあるひらめきが・・。「ようし、これを逆手にとって10倍のレコード看板を作ってやろう!」






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 60年代音楽専門店を意識した具体的なジャケットを思いつき、地元の看板塗装屋のNさんに話を持って行ったところ、「商工会を通じで補助が出る制度がありますよ。」とのこと。よく聞いてみると中小企業の集客援助資金で最大50万円まで補助が出る制度のようでした。ただし申込期限が近づいていてすぐに申請書出さないと間に合わないとのこと。商工会とも相談し慌てて書類仕上げました。実際のところこんなキワ物企画が通っても即効果が出るとは考えられませんでしたが、町の活性化のきっかけとして幾らかでも貢献出来ればと開き直りました。“奇抜さが収益に反映しにくい立地&業種”というポイントに注目しました。それならいっそ看板ではなくビートルズの記念オブジェを作って限定的に飾ってみたらどうだろう。そこで目を付けたのが来日記念盤の「ステレオ!これがビートルズVOL.1」<OP-7548>。これが発売されたのが50年前の6月25日。とここで私の「発売日魂」と「とことん拘り魂」が発火します。さっそくNさんに報告。「両面と背表紙を拡大印刷し、それに帯を巻いた巨大LPオブジェに変更してほしいんだけど。本来の看板ジャケットは後から変えてもらったらいいから。で完成は6月25日。ということで、よろしく!」本当は何としてもこれを来日記念日の6月29日に掲げたかったんですが、審査の合格通知以前に掲示したら補助資金は出ないとのことで、結果が出る7月中旬まで待つことにしました。





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ビートニューズのステージ(1965年!) 
対バンのバチェラーズがこの日アップ・テンポの曲中心だったため、
ビートニューズは「ガール」「ジス・ボーイ」等スローなナンバーで攻める。


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「オール・マイ・ラヴィング」を熱唱する山本さん

 NHKBS特番「ビートルズ・フェス」の“地方から武道館公演を観に行った人を探している”という企画依頼を通じて知り合った長田泰子さんが、来日50周年を記念したビートルズ・パーティーをするという話を聞きつけました。「群馬から女子高生一人で観に行ったけど、学校に知れたら退学になると思って親子で長年その事実を封印していた」という長田さん。彼女がパーティー会場として選んだのが江田島にある「ETTA JAZZ CAFE」。このオーナーもビートルズ好きという噂を聞いて会いに行くことに。「どうせ得意気にリアルタイマー風を吹かせてるオヤジだろう」とナメてかかってたのですが、会ってみると何とこれが正真正銘のホンモノ。「僕も当時東京の大学生で、武道館に行ってるんですよ。女性グループのコンサート(ニュー・クリスティー・ミンストレルズのこと?)との抱き合わせで20枚事務所からチケットを手に入れ、その中から各メンバーの立ち位置に一番近い席を選んで4公演観ましたよ。斜め後ろから見たリンゴのバスドラのビートは強烈だったし、ジョンの唾が飛ぶのもよく見えました。」とおっしゃるオーナーの山本唯夫さん(68才)。凄すぎる!自宅は拓郎の3軒隣で、高校時代はバチェラーズ(拓郎在籍)と対バンで演奏してた元ビートニューズのベーシスト。ステージ写真も見せていただきましたが、これが当時としては珍しいほぼ完璧な初期ビートルズ・スタイル。「バチェラーズはR&Bバンドだったからね。」と、自らのビートル・フリークぶりを強調。こんな人に歯が立つわけがありません。いくらビートルズ日本盤ネタを振りまいても、「あっ、そう。」で終わり。そんな山本さんに、例の巨大オブジェのことを話してみました。

「それはそうと、来日50周年記念で10倍のレコード・オブジェを作ったんですよ。」
「?? そりゃ凄い!」
「25日のパーティーで持って来ましょうか?」
「やりましょう!」







ob0.jpg 宇品フェリー
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 25日当日の朝がやって来ました。ドンピシャ25日に最終仕上げを施し完成した巨大オブジェ。看板屋に到着したら2トン・トラックにきちんとセットしてありました。友人Sさんの運転で、女房と3人目的地江田島に向けていざ出発!広島市内を通過して、宇品のフェリーに乗り込む計画をそのまま実行しました。市内の繁華街を通過する時は、さすがに「ビートルズ来日50周年」を祝う親善大使のような気分でした。これを目にしたビートルズ・ファンと思しき方達の反応は特に顕著で、よく騒乱(誘導)罪で訴えられなかったと胸を撫でおろしております(冗談です)。会場到着後は、みんなで協力し合って荷を解き(これが結構大変なんです)、メイン・ステージに無事セット完了。コピー・バンドのアコギ・カヴァーを聴きながら、会食、ビートルズ談義と、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。巨大オブジェは、失笑を含みつつも、とにかくみんなをハッピーな気分にしてくれることを確信したのでありました。





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孫をいたわるかの余裕あるラブリー山本さん(私もジジイですが)

 で、援助資金の結果ですが、これが見事不合格。本年度になって制度のことが知れ渡り、応募が急増したのが原因だったようです。まあこれで誰にも遠慮することなく、堂々と掲げることが出来ます(負け惜しみ?)。ということで、本日8月16日で無事64才の誕生日を迎えたことをビートルズ関連日として設定しました。遥か昔「When I’m Sixty-Four」を初めて耳にした高校生だった頃、とても予想も出来なかった老いぼれた己の姿。「When I’m Sixty-Four」と来日50周年が重なった偶然。援助をあてにしてちょっっぴり凝ってしまった分余計に経費がかかってしまいましたが、個人的にもいい記念イベントが出来たと満足しております。いずれ本来の巨大LP看板にとって変わりますが、しばらくはこのままで。それでなくとも奇妙なお店なのに、これでさらに「珍百景ショップ」としての磨きがかかりました。

祝来日50周年!










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変顔する孫達に囲まれた(変顔に見える)私

ビートルズ国内デビュー曲の謎⑩

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「64年の突然変異」とは、
真に究極のキャッチ・コピーではないでしょうか。


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裏面のカレンダー


  ここに国内デビュー直後東芝が配布したビートルズの販促物があります。これは前回のブログで紹介させていただいた村岡さんがお持ちだったもので、ちょうどレコード店に就職したばかりの頃お店のカウンター・ケースの上に大量に置かれていたとのことです。シブヤ楽器店はメーカーとの直接取引だった関係で、当時この手の販促物がいろいろと届いていたと言われています。裏面に“「ビートルズ!」絶賛発売中!”の宣伝文句があったり、シングル盤リストが「ツイスト・アンド・シャウト」まで掲載されていることから、これが4月中旬~下旬にかけて配布されたものであることが分かります。そして表に書かれたシングル盤リストは、「抱きしめたい」→「プリーズ~」の順列になっています。さらに大村本でも、読売新聞4月11日夕刊の東芝広告に同等の順列が確認出来ました。64年4月の段階で、東芝は既にこの順列を示していたということです。これらは、東芝が「抱きしめたい」をデビュー曲として認識していたことの有力な証拠と言えるのではないでしょうか。

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読売新聞4月11日夕刊の東芝広告



高橋克彦さんはこう反論されます。
「菅田さんが根拠として挙げている東芝の認定はすべて3月以降に出されたものですよね。とすれば並べ順はそのときの売り上げ状況によって定めたものかも知れず、 (中略) たとえば当時のレコジャケの背面にしばしば記載される東芝のヒットレコード紹介で、歌手別の並べ順など見るとクリフリチャードはレコード番号の前後など無視して売れている順に記載されていたりします。売る側としては一押しを先頭に持ってきたいのは当然のことで、ボケツトカレンダーの並べ順で「抱きしめたい」が早い発売と断じるのは根拠として弱いのではないでしょうか。それよりは一番大切な商品であるはずの「抱きしめたい」のジャケットに「プリーズ」が第一弾と(*一貫して)はっきり断じている方が重要と私は思います。」 *菅田追記




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東芝月報64年5月号に掲載された広告

さすがに説得力あります。しかしながらレコード会社が示した当時の記録を戸籍として捉えるなら、私にとって何より決定的だったのが、「東芝月報5月号」に掲載されていた“売り切れ近いビートルズのデビュー盤 ●抱きしめたい”のちっちゃな広告でした。「誰が何と言おうと、当時東芝が示しているのだから「抱きしめたい」がデビュー曲なのだ」と信じていました(以前ちらっとブログでも「抱きしめたい」派であると書きましたが)。ですから大村さんから初めて“2月5日「プリーズ~」・10日「抱きしめたい」発売”の新聞記事のことを聞いた時も、「新聞編集者がレコード番号から勝手に判断して、東芝からの告知を間違って逆にして記事にしたのだろう」と漠然と考えていました(東芝の二重構造に気づくまでは)。しかしながらここまで検証を重ねてゆくと、実態は「プリーズ~」が早く出回っていたことは分かるし、当時の新聞記事の発売日に俄然リアリティーを感じるのも確かです。ただし現段階ではその発売日を証明するレコード会社の資料等は発見されておらず、現況は“「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」3月5日発売”のままであるという如何ともしがたい現実。


高橋さんの意見はこうです。
「「プリーズプリーズミー」を第一弾と記して、しかも「好評発売中」と刷り込んであるからには、「抱きしめたい」の発売は最速でも同時発売と見なすのが正解ではないでしょうか。たとえわずか5日程度「抱きしめたい」が早かったとしても、店頭にその「プリーズ」がなければ大騒ぎとなったはずです。東芝にも問い合わせが殺到したことでしょう。そういう不手際がファンのだれ1人にも記憶がないなど考えられません。注目度が高かったビートルズのことですから、マスコミもその不手際を指摘したに違いありません。私の見解は2月5日か10日の同時発売説です。

また「抱きしめたい」をデビュー盤と(*月報に)明記しているのも、仮に同時発売であったとすればまんざら嘘にはならないわけで、東芝自体もビートルズ旋風に巻き込まれて混乱状態にあったと思われます。しかし、ここまで(*発売日の特定が)錯綜すればどちらがどちらでも構わないような気がしてきました。続けざまに二枚が発売された、でいいような。」 *菅田追記


“店頭にその「プリーズ」がなければ大騒ぎとなったはず”という推測こそは、「プリーズ~」の3月5日発売が絶対あり得ないことを証明する最大の着眼点ではないでしょうか。また「続けざまの同時発売」という考え方は、“モヤモヤとしたビートルズ国内デビュー盤の現状”に対するモラルある解釈とすら感じてしまいます。「どちらにもデビューを認めてあげよう」「軍配は~、引き分け!」とても言わんばかりの。(実際のところ、初期ビートルズに同時発売は多い)






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Nさんに届いた東芝からの回答ハガキ

  ビートルズ来日50周年の今年、「ビートルズと日本」が出版された意義はとてつもなく大きい気がします。この本を紹介することによって、ビートルズ国内盤の発売日問題が日本経済新聞やヤフー・ニュースでも取り上げられることになりました。日経の記事でも触れられていたデビューLPの発売日に対する回答ハガキ(筆跡は高嶋氏?)。こういったものを表に引き出してくれるメディアの力。来日50周年をきっかけとして盛り上がったビートルズ日本研究。今後もこの気運を絶やすことなく継続し、回答ハガキのような貴重資料を発掘して行きたいものです。たとえ今が仮に47年前の曖昧なソースを元にしたデビュー曲定説となっていても、レコード会社の認識一つで定説が変更して行くのなら、今後の意識変革に期待するのもありでしょう。そういう土台は、来日50周年をきっかけに出来上がったと感じています。

ビートルズ国内デビュー曲の謎⑨

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「ビートルズを観た」(音楽出版社、2016年)
リアルタイマーの武道館公演観戦記や当時の思い出話は楽しいですね。
一応私もリアルタイマー(TV観戦派)ですが、話楽しくないですか?



 真実解明の旅も佳境に入ってまいりました。と言いつつ、デビュー発売日(2月5日?)が特定出来るほどの決定的な光はまだ見えていません。最近出版された「ビートルズを観た」を読みながら、何かヒントがないものかといろいろと想いを巡らせております。証言インタビューに登場されている岩淵三永子さんの記事を読んでいたら、「ビートルズ来日を初めて知ったのは、何の媒体でしたか?」の質問に対し、「当時書いていた日記を読み返してみたら、ラジオでした。」というのを見つけました。これだ!レコード会社に当時の資料が残っていないのなら、ファンの記録(日記)も有効なソースになり得るのではないか。この本には「体験者アンケート」という項目があり、30名以上の回答が寄せられているのですが、せめてもう一つ質問事項を加えてほしかった。

(質問8)「プリーズ・プリーズ・ミー」「抱きしめたい」の購入日を記した日記及びレコードをお持ちでしたら、その日付を教て下さい。(来日公演とは関係ない?)







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「レコード・コレクターズ」2016年8月号  デル・シャノン/フロム・ミー・トゥー・ユー<JET-1427>

 レココレの最新号のレターズ欄に、「1964年の佐賀の街角では」というタイトルの記事が掲載されました。街角男デル・シャノンの64年のヒット曲「フロム・ミー・トゥー・ユー」を一瞬連想してしまうタイトルですが、何とこれが私の願望をドンピシャ叶えてくれている内容なのです。佐賀市在住の上田恭一郎さんの奥さんが当時購入された「プリーズ~」「抱きしめたい」のレコード・ジャケットに購入日が記してあるとのこと。ちなみにその記述は以下の通りです。

「プリーズ~」 2月22日(プレスマーク(以下PM)はA4)
「抱きしめたい」3月17日(PM:B4)

前回紹介した石附さんといい今回の上田さんといい、レココレ・レターズ欄恐るべし!
これはあくまで個人の記録であり絶対的なものではありませんが、少なくともその時点でレコードが市場に出回っていた証拠には成り得ると考えます。さらに3枚目の「シー・ラヴズ・ユー」ですが、これが驚くなかれ何とも物議を醸した内容なのです。

「シー・ラヴズ・ユー」 4月6日(PM:C4、D4の複数刻印→64年4月プレス)

この記録は、プレスからインターバル6日以内で発売に至ったということを示しています。これは特例と考えるべきなのか、何かの手違い(チェック・記入ミス等)なのか。PMはあくまでも発売日を特定するための(強力な)有効材料であって決定材料ではありませんが、この記事が真実ならば、「抱きしめたい」の初回PMが仮にB4であっても2月5日の発売も考えられるということになります。いずれにせよ、精査が必要な今後の課題ということにさせていただきます。








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村岡ポップス日記、全13巻(1959年~68年)    エルヴィス・プレスリー/思ひ出の指環<SS-1084>
シュウカツの一環として廃棄されるところをかろうじて救出


 さて日記の話に戻りましょう。10年前の「60年代ロックLP図鑑」でビートルズのLP発売日を解明している時、大村さんと「究極の真実は、当時の少年少女の日記に隠されているのではないか」などと話したことがありました。来日公演に関しても、私自身“レコード買取”という仕事をきっかけに、これまで数多くの武道館体験者からお話を訊かせていただく機会を持つことが出来ました。そんな中から、以前ブログでも紹介させていただいたMさんこと村岡英子さんの日記を紹介させていただきます。村岡さんは先日の浅草セールにも来ていただいたのですが、今でも現役バリバリのポップス少女?です。当時高校生だった62年にボビー・ヴィー・ファンクラブに在籍していた関係で“二人ベンチャーズ”の初来日公演も経験され、ビートルズにはFENで出会い、その後怒涛の64~5年を経て燃え尽き、武道館公演ではちょっぴり冷めていたとも言われています(前年経験したアニマルズ公演が強烈だったことが原因のようですが)。そんな村岡さんにお願いして、ビートルズ関連の箇所だけピックアップしての公開が叶いました。ご協力感謝いたします。


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「今日から1964年」という響きがいいですねえ。「TOP20」はFENのチャート番組からの聴き写しメモです。ヒアリングによるため、3位「アイワナホージューヘン(ザ・ビィードルス)」となっているのが何ともリアル(初めてバンド名を耳にされたと思われます)。


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FENのビートルズ特集。村岡さんは国内放送よりFENが中心だったようでその点ちょっと残念ではありますが、既成のポップスからビートルズ熱中に切り替わって行く様子が伝わって来ます。

「(ビートルズ)ステキよ イギリスのクリフ こんなの問題じゃない プレも」

ちなみに村岡さんのハジレコは、中学1年の時(1958年)に買ったエルヴィスの
「思ひ出の指環」とのこと(あの大滝詠一がエルヴィスに出会う4年前)。

そして2月11日の日記に決定的な1行が。

「プリーズ・プリーズ・ミー 夕日に赤い帆 を買う(レコード)」

買われたのは大井町のシブヤ楽器店(村岡さんは何とその2か月後からここに勤務されます)。強烈なポップス女子高生だったためビートルズとファッツ・ドミノという組み合わせとなっていますが、もし「抱きしめたい」が店頭にあったら「夕日に赤い帆」をやめて間違いなく買っていたと言われています。


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「抱きしめたい」は14日に買われているようです。11日は売り切れていたのか、未入荷(未発売?)だったのか。
大村本に「国際ニュース」でビートルズを採り上げたことが書かれてありますが、TV欄での記述はないようで、放映時期は“2月中旬~下旬(?)”となっています。村岡日記で17日に放送されたことが分かりますね。


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ラジオで聴いた回数をメモしてるなんて、並みのポップス少女ではありません。そんな村岡さんはその後64年4月のシブヤ楽器店をスタートに、京橋堂西銀座店(64年11月~67年10月)、十字屋銀座本店(67年12月~72年8月)と、ビートルズ国内現役時代にほぼ完璧にレコード店に勤務されることとなります。「東京オリンピックの頃、LPの帯で、ビニール袋に引っかかって入れにくいのがあったのよ。」って、それ「半かけ帯」のことですよ、村岡さん。






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発売日より4日早く納品されたLP

 一方で、こうした日記の記述に対してシビアな意見があるのも確かです。プレスマークの発見者でもある柳生さんは、「(メーカーからレコード店への配送は、)1960年代はよりコントロールされていない状況だったでしょう。どこの地域でもビン・ポイントで発売日の前日に店頭着させる、なんてことは無理です。ですので「11日に買った」という事実があったとしても、発売は5日か10日と決めつけない方がいいと思います。15日発売の可能性も充分あると思います。私自身、1967.7.5発売のサージェントが1967.7.1にエサ箱に入っていたのを明確に記憶しています。(お茶の水の店)」と語られています。やはり実際の「流通日」と「発売日」は別物と考えないといけない、ということなのですね。






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ハッピ似合ってます。決めるときはちゃんと決めますねえ。

 大村さんから、7月1日に行われたシンコーミュージック主催のビートルズと日本」トーク・イベントのメインテーマ「ビートルズの日本盤レコードの発売日はいつか」の主要な内容報告が届きました。このトークのポイントを要約すると、
「発売日の決定権はすべてメーカーにある。今や重要な意味を持ってしまった日本デビュー曲と発売日は、メーカーの一存で決まる(戸籍上は)」
「(デビュー盤の発売日は)現時点では特定不能。但し、戸籍上では「抱きしめたい」がファースト・シングルのデビュー曲」と結論づけられています。ただし
「デビュー・シングルの戸籍は、流通実態との乖離が大きい可能性があり、“デビュー”は様々な定義・解釈が可能。“戸籍”の側面だけで片付けるべき問題ではない」との補足もされています。


 現在メーカーが提示している直近の発売日は、CD「JAPAN BOX」のライナーに書かれている発売日ということになるようです。ということは、デビューLPは“64年4月5日”のままであり、当然デビュー・シングルも「抱きしめたい」“64年2月5日”のままということになります。それでいいんですか?それでいいのなら、国内デビューから30年後と解釈して94年2月5日にオープンした当店は、店名をジスボーイからアスクミーホワイに変えなくてすみますが・・。2号店を来日から30年後の96年6月29日にオープンしたことは問題なさそうですが、こんなビートルズ関連日の遊びを繰り返して来て、気が付いてみたら“ビートルズ国内盤発売日のアジテーター”となり果てているのも、考えてみたら必然の結果なのかもしれません。次回の最終回では、足元グラグラの根拠で成立している現在のデビュー曲定説(戸籍)を、直近の提示ではなくメーカーの示した別の提示に光を当てることによって解明したいと考えています。

ビートルズ国内デビュー曲の謎⑧

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 昨年に続いて今年も16日から18日の3日間、「レコードCD・サマー・カーニバル浅草」に向かいます。外人観光客も多い猛暑の中、しっかりとカープ魂炸裂でがんばってまいります!なんて威勢のいいことはとても言えなくて、デビュー曲ネタで少々バテぎみであります。「いつまでやるの~?」「まあどっちでもいいじゃない」「いつものバカ・ブログに早く戻ってよ」の影なる声も聞こえなくはないのですが、せっかく来日50周年に引っかけて乗っかった船です。“ビートルズ発売日検証シリーズ”の、デビューLP「ビートルズ!」、デビュー音源「マイ・ボニー・ツイスト」に続く第3弾、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」のアンサー・ソング、「デビュー曲はどっちだ(I Want To Find Your Secret.)」只今絶賛検証中!!
ということで、もう少しご辛抱願います。
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「レコード・コレクターズ」2016年6月号


 今年のレココレ6月号レターズ欄に、かつて「60年代ロックLP図鑑」でもジャケット協力していただいた石附修さんの「最初に店頭に並んだビートルズの日本盤シングルは?」という投稿記事が掲載されました。デビュー曲というものは本来メーカーが定めた発売日によって決定されるべきものですが、ことビートルズに関しては、「当時のメーカーの記録がない」「後付けで定められたメーカーの発売日が当時のメディア記録と明らかに異なっている」という理由から、石附さんは“世に早く出回ったもの”を(実質的な)デビュー曲としてとらえ解明してみようというアプローチをとられています。高嶋氏の繰り上げ発売は、実際のところ間に合ったのか間に合わなかったのか。


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ミュージック・マンスリー64年4月号~6月号
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 石附さんは結論として「プリーズ~」が早く店頭に並んだと分析されています。その根拠として、

① 「ミュージック・マンスリー」や「ミュージック・ライフ」に掲載の全国及び東京のレコード店売上チャートの比較
(全国) MM4月号(3月 1日現在)「プリーズ~」11位、「抱きしめたい」なし
         5月号(3月31日現在)「プリーズ~」 1位、「抱きしめたい」6位
         6月号(5月 1日現在)「プリーズ~」 3位、「抱きしめたい」4位
(東京) ML2月             「プリーズ~」9位、「抱きしめたい」10位
        3月             「プリーズ~」2位、「抱きしめたい」 9位
        4月             「抱きしめたい」 1位、「プリーズ~」2位

②プレスマーク 「プリーズ~」A4(64年1月プレス)の存在

の2点を指摘されています。

東京とそれ以外の地域ではレコードの流通に異なった実態があったことが①の売上チャートの動きから推測出来ますが、いすれも「プリーズ~」が先行した売れ行きを示しています。当然曲の人気度も加味して考えないといけませんが、レコード店売上のチャート実績というのは、発売順を推測するためのひとつの有力な根拠にはなると思います。


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「9500万人のポピュラー・リクエスト・チャート表(1964年~67年)」
九州Mさん作成のファイル


一般にチャートと言えば、ラジオのヒット・チャートが頭に浮かびます。以前レココレに「当時のヒット・チャート等の動きから考えてこの2枚がほぼ同時に発売されたことは間違いない。」と書いたことがあり、この精査も兼ねて今回徹底的に調べてみることにしました。リアルタイマーである九州のMさんが作成された「9500万人のポピュラー・リクエスト」のファイルを参考にして、当時のラジオ・ヒット・チャートの順位を拾ってみました(他のリアルタイマーAさんの記録との一致も確認済み)。

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こうしてみると“ほぼ同時に発売された”どころか、70年度総目録記載の定説発売日を逆転させた印象すら受けてしまいます(「プリーズ~」2月5日、「抱きしめたい」3月5日)。“「プリーズ~」の3月5日は明らかにおかしい”ことを強調したいがために、軽率ながらチャート表をよく吟味せず新聞記事の発売日記録と混同していたようで、大変失礼いたしました。「プリーズ~」は次週5月8日に堂々の1位に輝き、その後5月末までずっと優勢が続きます。6月になると「抱きしめたい」が(やっと)「プリーズ~」を抜いて6月末まで優勢に立ち、7月に入り(やっと)「プリーズ~」はチャートから脱落することになります。こうした流れをみて気づいたのですが、60年代の代表的な洋楽リクエスト番組で「プリーズ~」が5ヶ月間チャートに君臨し、しかも最初の4ヶ月間も「抱きしめたい」より優位に立っていたという事実が、リアルタイマーの多くに「プリーズ~」をデビュー曲と認識させていた原因の一つなのではないでしょうか。

ラジオ・リクエスト番組に関しては他に「東芝ヒット・パレード」という番組がありますが、“1月末にこの番組でパーソナリティーの前田武彦が「ザ・ビートルズの日本でのデビュー曲が『抱きしめたい』に変わりました」と番組内新曲コーナーで新人ビートルズを紹介した”、と書かれたブログの記事を見つけました。ラジオ番組でアナウンスされたことは初めて知ったのですが、リアルタイマーとして書かれている内容は素晴らしく、(1月末かどうかは別にして)そのような発表がされたのは間違いないのでしょう。ただし、Mさんとは別のリアルタイマーAさんによる当時放送を毎週聞いて書き起こしたメモによる「東芝ヒット・パレード」チャート表では、1月25日に新譜紹介されたのは「プリーズ~」の方で、早速翌週2月1日に13位でチャート・インしています。一方「抱きしめたい」は2月15日の放送で新譜紹介され、これまた翌週22日に17位でチャート・インしているという自然な動きをとっています。こちらの方も最初のチャート・インから4月中旬までの2ヶ月半ほど「プリーズ~」が優勢で、「抱きしめたい」が逆転するペースが若干早いだけで、基本「9500万人のポピュラー・リクエスト」と同種の流れとなっています。MM(全国)・ML(東京)の売上チャートの流れと、9500万人~(全国)・東芝ヒット~(東芝曲限定)のヒット・チャートの流れが奇妙なほど一致しています(偶然でしょうけど)。









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OR-1041のプレスマークA4盤、10万円でWANT!


次に②のプレスマークですが、これは実質的なデビュー曲を特定するための有力な根拠になり得ると私は考えています。かつて「60年代ロックLP図鑑」におけるデビューLPの発売日検証でも、確認し得る最古のプレスマークがD4(64年4月プレス)であったことから発売日を「4月15日」に絞ることが出来ました。さっそく私のルートで「プリーズ~」と「抱きしめたい」の最古のプレスマークを調査してみました。オールディーズ・コレクターで「抱きしめたい」を10枚お持ちの方とかいろいろ当たってみた結果、「プリーズ~」はA4が見つかっているどころか圧倒的にA4が多く、「抱きしめたい」の最古はB4が圧倒的でした。LPの初回プレスマークを徹底的に調査(500枚程度)していた時に気付いたのは、基本的に最古のプレスマークが一番多いような気がするということです。ですから「抱きしめたい」にA4(64年1月プレス)が見つからないというのは、かなり大変なことなのです。




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「ヒットチャートの魔術師」(高島弘之著、紀尾井書房、1981年)

  さてここで「プリーズ~」の発売までの流れを振り返ってみるとしましょう(さも冷静に)。12月中旬には発売を決定したと思われる「プリーズ~」ですが、高嶋氏の「ヒットチャートの魔術師」には、
「レコードは発売するまでにいろいろな準備で三ヵ月はかかる。 (中略) 何もかも新しくと翌年早々二月十日に決めた。そして曲は『プリーズ・プリーズ・ミー』。」
と書かれてあります。通常3ヶ月かかるところを急いで2ヶ月で発売するために、さっそく1月にはプレスを開始し、15日の東芝定期発売日を無視し(何もかも新しく)10日とした、と考えればつじつまが合いますね(ただし当時は、「ポップス」64年2月号で“2月15日”発売予定と告知されています)。一方の「抱きしめたい」ですが、これが大難問。同書には
「63年末になって、アメリカのキャピトルが第一弾に『抱きしめたい』を決めたとの情報を得た。私ははじめ『プリーズ・プリーズ・ミー』を第一弾にしていたが、『抱きしめたい』をためらわずそれより五日早くして二月五日発売第一弾とした。日米が歩調同じうしてプロモートすべきと考えたのである。」
と書かれています。この決断と実行が実際のところいつ行われたのか?月報4月号に新譜発売で「抱きしめたい」が掲載されているということは、1月中旬以降であることは間違いないでしょう。仮に20日頃であったとしても2月5日までは半月ほどの余裕があります。デビューLP「ビートルズ!」の初回プレスマークがD4であることを基準にすれば、ギリギリ5日の発売が間に合うインターバルです。しかしながらA4のプレスマークは発見されていないのです。全米チャートでトップになるタイミング(2月1日)を見計らっていて決断が遅れてしまったのか。マスターテープ到着(板起こし?)の遅延が原因しているのか。いづれにせよ、プレスマークがB4(64年2月プレス)ではどう考えても2月5日の発売は無理だと思うのですが。



ビートルズ国内デビュー曲の謎⑦

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BS特番「ビートルズ・フェス」での岩瀬成子氏

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“「世界の果てのビートルズ」(日本編)”とも言える「オール・マイ・ラヴィング」


6月29日のビートルズ来日50周年記念日に何かしなければ・・。いろんな記念特番見ても、ほとんどが何か消化不良でしっくり来ない。記念日に対する個人的な重みと世の中の盛り上り方に感じるズレ。中学二年生だった50年前の自分自身を振り返ってみると、かつて経験したことのないワクワク感でテレビの前に釘付けになっていた記憶だけはハッキリとあります。でも考えてみたら、レコードも半年前に初めて買った「恋のアドバイス」以外にはたして10枚も持っていたのかどうか。そんな状態で「自分こそが世界で一番ビートルズの音楽を理解してる。」と思い込んでいたのですから、何ともめでたい限りです。当然LPはまだ買ってなくて(買えなくて)、新譜の「ペイパーバック・ライター」のB面「レイン」でポールのベースの巧みさを初めて意識したばかリの頃でした。25日に放送された3時間特番で初めて拝見した児童文学作家岩瀬成子さんには、“田舎の孤独なビートルズ少女(少年)”としての共感を以前から感じていました。「ビートルズは自分のことを(自分に向かって)歌っていると思った。」「ビートルズを理解しているのは自分だけだと思ってた。」岩瀬さんが「キャント・バイ・ミー・ラヴ」と「オール・マイ・ラヴィング」のドーナツ盤を棚から取り出すシーンを見て、その瞬間ある記念儀式を思い立ちました。そうだ、来日時に発売されてたシングル盤を中学生に戻って聴きなおしてみよう!






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記念儀式のシングル群

 さっそくレコード番号順に「プリーズ・プリーズ・ミー」から「ペイパーバック・ライター」まで針を落としてみることに。当然当時買ったものばかりではありません。高校生になると怒涛のLP時代に突入し(と言っても購入したビートルズのLPは3年間で9枚ほど)、“オデオン・シングル・コンプリート・コレクションも大学生になって中古で買ったものがかなり含まれています。改めてドーナツ盤を聞き直してみて、当時の熱量が目減りすることなくそのまま伝わって来て痛く感動。50年を経ても停滞したままの己の感性にただただあきれるばかり。


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「ひとりぼっちのあいつ」を解説する橋爪大三郎氏  

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「ラバー・ソウル」唯一のシングル・カット

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橋爪氏の「シー・ラヴズ・ユー」との出会い描写は大好きな一文

そうそう、「ヘルプ」と「ひとりぼっちのあいつ」は急遽依頼されたBS特番用に送っていて聴けなかったんです。「ヘルプ」は使われなかったけど、「ひとりぼっちのあいつ」は信頼に足るリアルタイマー橋爪大三郎氏のコメントの時に登場し、それはそれで名誉なことだったんですが・・。





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「抱きしめたい」370円盤の内側広告            「ビートルズ!」<EAS-70100>


 「抱きしめたい」は圧倒的でした。やはりこの曲には特別な何かがとりついている気がします(自分にとって)。宇宙観とでも言いましょうか。何かが降りてくる。私の持ってる「抱きしめたい」はセカンド・ジャケの370円盤。改めてよくよく見てみると、プレスマークは「E6T」で、ほぼ「ペイパーバック・ライター」と同時に買っていたんですね。そしてさらに、内側の「プリーズ~」第一弾広告を見てビックリ!!初回330円盤の内側広告に記載されていた330円の文字が消えていたのです。内側広告は初版をそのまま流用し、無頓着に“第一弾”の印刷が残されたままのジャケットだと勝手に思い込んでいたのですが・・・。急遽「抱きしめたい」をデビューとしたため印刷消去が間に合わなかったとされる内側広告ですが、実はデビューから2年以上経過した再販版の段階でも「プリーズ~」を第一弾として東芝は認識していたのです。この内側広告は、「68年度総目録」と歩調を合わせるかのように、最終的に68年のサード・ジャケで消されるまで実に4年間も印刷され続けていたのです。さらにこの「プリーズ~」デビュー東芝認識は、「70年度総目録」の記述を無視するかのように、「ビートルズ!」<東芝EMI EAS-70100>(76年)の解説で渋谷陽一氏にそのまま引き継がれることとなります。曰く、「日本で最初のビートルズのレコード、「プリーズ・プリーズ・ミー」が発売されたのは1964年、僕がそれを聞いたのは小学校6年生の頃。」




pops8_2016070610190139f.jpg              
 「ポップス」64年8月臨時増刊号       
 “レコード・ベスト・テン”の一位として書かれた高嶋氏の「抱きしめたい」解説は、“強烈なビート”“奇妙なるハーモニー”“旋律の美しさ”の3点を強調した、好感の持てるレヴューとなっています。



 週刊読売
 週刊読売」66年6月16日号 

  リアルタイマーに「抱きしめたい」=デビュー曲としての認識が薄いのは、単に「プリーズ~」のレコード番号が古いことや「抱きしめたい」の内側広告のせいだけではなく、高嶋氏の「抱きしめたい」繰り上げ発売が東芝全体に徹底していなかったのではないかと思われるのです。その真相について4月3日に開かれた「ビートルズと日本」トークショーに出席した際、質疑応答の時間的余裕があれば、「広島で『こいつ』という中古レコード店をしている菅田といいます。」と自己紹介し尋ねてみようと思っていたのですが、果たせませんでした。編集の美馬女史とは、労をねぎらうべく「I Wanna Hold Your Hand!」と声をかけ握手出来ましたが・・(さすがに「抱きしめたい!」では誤解受けますので)。話それました。スミマセン。そのトークの席上、高嶋氏がデビュー曲について、「僕に訊いてくれればすぐに分かるじゃない。『抱きしめたい』に決まってます。僕がやったんですよ。東芝と書いてあるが、会社は関係ない。全部僕なんだ。」と発言されてました。その勢いと東芝のスタンスに、いくらかズレが生じていたのではないかと・・。ブログ③で紹介した「抱きしめたい」をデビューとする「週刊読売」や「ポップス」の記事も高嶋氏が書かれているようですが、ディスコグラフィーなどは基本的に「プリーズ~」が最初に位置付けられていて、東芝からの資料提供との二重構造が見える気がするのです。

ビートルズ国内デビュー曲の謎⑥

前回の⑤では「70年度東芝総目録」に後付けで記載された“64年リリースのシングル発売日”の記述がいかに混乱しているかを指摘したわけですが、もともと総目録というものは、月報で報告された内容を年度末に整理・修正しメーカーの最終決定したもののはずです。ですからそれまで示されていなかった64年の発売日を無理やり(?)5年後に明記せざるを得なかった「70年度版」が特例であって、本来は月報の記述より総目録の記述に信頼を置くべきなのです。ということで、ここで改めて64年2月号~4月号月報と65年度総目録(64年リリース記載)を比較チェックしてみることにします。

長年音楽業界に身を置きながら、総目録や月報についても熟知されてる柳生さんの解釈をご紹介しましょう。
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 月報1964_02
2月号月報

ビートルズは何も掲載されていません。
2月5日臨発が1タイトル載っていますが(KR-1018)、ここにもビートルズはありません。
普通の臨発(変な言い方ですが)で「抱きしめたい」なり「プリーズ~」なりが発売
予定だったならば、ここに載ってもいいと思いますが・・・


 月報1964_03
3月号月報

「プリーズ~」が掲載されています。見る限り、通常の3月新譜であり、臨発とか特殊
なものではないようです。周辺のタイトルの品番の並びから見ても、当初から3月新譜
として計画され、予定通りに3月新譜として発売されているようです。
当時の発売日パターンから考えると、2月5日か2月15日と思います。
「抱きしめたい」は載っていません。


月報64年4月号
4月号月報

「抱きしめたい」が4月新譜として普通に掲載されています。 *菅田コメント


65年度総目録は、
「プリーズ~」<OR-1014> 1964-3
「抱きしめたい」<OR-1041>1964-2臨発
と表記されているので、「抱きしめたい」に何らかの変更があったことは明らかです。
私は、この時の総目録表記は、(日付を特定するという我々の期待には応えていませんが)
これはこれで正しいものと考えています。つまり、
(1)総目録の月は、「発売された月」ではなく、「新譜月」を示す(1964-3 は「3月新譜」のこと)
(2)「新譜月」表記の場合、実際の「発売月」は前月になるが、「臨発」の場合は当月である
という予備知識を踏まえてこれを読めば、2枚とも「発売月」は1964年2月ということで
同一ゾーンに収まることになります。

ということで、65年度版掲載の初期のシングル8枚の中で間違っているのは、「ツイスト・アンド・シャウト」だけです。(64.4.25臨を64.5臨と表記)
残りの7枚は、(記載されている範囲内で)正しいです。

結果論ですが、当初の総目録を調べ、「余計な解釈をせずに」書かれていることをそのまま伝えてくれていたら、たとえぱ「1964.2臨発」などにとどめてくれていたら、ここまで混乱は広がらなかった筈です。フォロワーは、日にちを特定することと、多少の誤りを修正することだけに専念できた筈です。


(追記)
65年度~68年度版の推移

           65,66,67年版  68年版
「プリーズ~」   1964.3     1964.3
「抱きしめたい」 1964.2臨発   1964.2

この68年版の「臨発落とし」も大問題と考えています。
65,66,67年版を見る人が見れば、発売は2枚ともほぼ同時期なんだと判りますが、
68年版は、誰が見たって「抱きしめたい」 が早いと思いますよね。
70年版の「後付け5日」の伏線になっている感じです。
ちなみにこれはビートルズに限った話ではなく、R-1000 シリーズ全体です。
つまり、68年版では R-1000 シリーズには、臨発がひとつもないことになってます。
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いかがでしょう?“68年度→70年度総目録の発売日記述”が混乱の元凶であり、“「抱きしめたい」<OR-1041>1964-2臨発”の解釈にデビュー盤を特定するヒントが隠されているような気がします。68年度及び70年度総目録作成に柳生さんが参加していたら、“通常新譜や臨発も一緒くたにした一律5日発売日記述”はなかったでしょう。その記述をそのまま引き継いでディスコグラフィーを完成させてしまった香月氏は音楽業界人ではないこともあり、74年の段階で発売日特定に関してそこまでの熟考を求めるのは酷というものでしょう。













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祝ビートルズ来日50周年!

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50周年記念巨大LPオブジェ(看板ではありません。背表紙・裏ジャケ印刷、帯巻き)の前で、
目下11連勝中のカープTシャツを着て悦に入るの図。
(29日早朝午前3時台撮影)
大村本記載の“羽田到着3時39分~50分”には雨降らず大正解。
8時より豪雨。
駐車場近辺の住民の方で撮影に気づかれた方、ご心配おかけしました。
決して怪しい者ではございませんので・・(相当怪しい?)。

ビートルズ国内デビュー曲の謎⑤

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ブライアンの父親が経営してた家具店
ここで始めたレコード部門が、ビートルズと出会うきっかけとなる。


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 ビートルズ来日50周年で関連番組がいろいろと放送されていますが、「世界・時の旅人~ビートルズをつくった男」というNHKBS特番が素晴らしかった。これは10年近く前に放送されたドキュメンタリー番組なのですが、“レコード店主から転身、ビートルズのマネージャーとして32年の生涯を燃え尽くした男ブライアン・エプスタイン。劇作家マキノノゾミが心の軌跡をたどる。”というもの。私にとってのブライアンは、少年時代のマキノさんと同じであくまで「ビートルズの発掘者、紹介者」に過ぎず、ビートルズ・ストーリーにおいてはただの端役でしかありません。半世紀以上もジョンとポールの圧倒的な才能に翻弄され続けて来たわけですが、あまりに早すぎたジョンの人生の前に、親友スチュアート・サトクリフやブライアンの短い生涯があったことに想いを馳せることは少なかった気がします。マキノさんのブライアンへの手紙には、ビートルズを我々に届け早く散ってしまった不器用な男への深い共感を感じました。

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マキノさんがこのレターを読み終えた直後、ノスタルジックな感傷をかき消すかのように突如流れて来た
今日の誓い」。
武道館公演のドキュメントでの「ミスター・ムーンライト」を思い出してしまいました。
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さて、⑤に続けましょう。
まだよく問題点が理解出来ていない方のために説明しておきます。半世紀が経過してもデビュー曲が不明であることの原因は、ビートルズのレコードが初めて発売された1964年当時にメーカー(東芝音楽工業)が発売日を示していないからなのです。64年末に発行された「65年度東芝総目録」に、発売日の記述があれば何の問題もなかったわけです。仮にその記述が真実とは異なっていたとしても、おそらくその真偽を追及するような奇特な人は半世紀後に誰一人現れることはなかったし、またそうする必要もなかったでしょう。東芝は幸いなことに昭和40年代に入ると(翌65年から)総目録に発売月だけでなく発売日も明記するようになるのですが、ほとんどのレコード会社は昭和40年代に入っても明記していません(発売日を明記してるのは東芝・キング・ワーナー・徳間のみで、ビクター・フォノグラム・コロムビア・グラモフォン(ポリドール)・CBSソニーは明記なし)。まだメーカー側に発売日をきちんと示すという慣習が定着していなかったのですね。そしてデビューの64年(昭和30年代)に東芝総目録で明記されてなかった発売日が、その5年後に突如「70年度東芝総目録」で示されることとなります。

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(昭和39年)
2月5日「抱きしめたい」
3月5日「プリーズ・プリーズ・ミー」
4月5日「シー・ラヴズ・ユー」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「フロム・ミー・トゥー・ユー」
5月5日「ツイスト・アンド・シャウト」「ドゥ・ユー・ウォント・トゥー・ノウ・ア・シークレット」「オール・マイ・ラヴィング」


この8枚の発売日に当時の新聞記事や東芝月報との食い違いが見つかってしまったことが、今回のテーマへの直接的な出発点となりました。



読売新聞640411

今年の4月に出版された大村本のP64に、読売新聞64年4月11日夕刊に掲載された東芝の広告が掲載されました。
ごらんのとおり、総目録に4月5日発売と記載の「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「フロム・ミー・トゥー・ユー」と5月5日発売と記載の「ツイスト・アンド・シャウト」の3枚は4月下旬に一斉発売となっていたのです。




   TO月報1964_06
東芝月報1964年6月号

TO月報64_06


さらに先月末のことでした。60年代を中心としたレコード研究家の柳生高志さんから、64年6月号の東芝月報を入手したとの連絡が入りました。それにより以下の2枚に「70年度東芝総目録」に明記された発売日(64年5月5日)との不一致が判明しました。

「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」<OR-1093>1964/5/15臨発
「オール・マイ・ラヴィング」<OR-1094>1964/5/25臨発

以上のことから、「70年度東芝総目録」に記載のデビューから8枚目までの発売日のうち、当時の新聞記事や月報と一致しているのは「シー・ラヴズ・ユー」の1枚だけ、6枚が不一致でデビューが不明、という結果となったわけであります。

ビートルズ国内デビュー曲の謎④

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 「ニッポンとビートルズ」開催記念
TOKYO BEATLES' WEEK 2016
2016.06.22(水) - 07.04(月)

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Vol.5「ビートルズと武道館〜熱狂の五日間」
 

 相変わらずビートルズ来日50周年記念イベント盛り上がってますね。「TOKYO BEATLES' WEEK 2016」フェスでも大村さんのトーク急遽決定したみたいです。このフェス盛りだくさんでため息出そうですが、Vol.9を8まで絞って
「EIGHT DAYS TWO WEEKS」
としたらよかったのでは?(余計なお世話)






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バンド仲間とT少年、1965年(「開封 高橋克彦、平凡社」より)

 最初に私が送ったメールに対する「日本でデビュー盤がどちらが先かという問題が解決されていないなんて考えたこともなく~」という高橋さんの言葉が、おそらくビートルズ・ファンも含めた世間一般の考えでしょう。デビュー曲について彼らリアルタイマーに質問した時の反応は、決して即答ではなく、「なんだろう」と一瞬考えて後「プリーズ~」と出てくるパターンがほとんどです。日本でのデビュー曲なんて意識したこともなく、そんなものどうでもいいじゃんという感覚なんでしょうが、「抱きしめたい」という定説デビュー曲が彼らの口からほとんど出て来なかったことは私にとって大きな驚きでした。でも彼らには、“半世紀が経過しているのに未だにデビューが何かハッキリしないという現実“こそが一番のインパクトだったようです。

高橋さんのファースト・インスピレーションはこうです。
「残念ながら当時の私は日記をつけていないので、なんの証拠にもなり得ないのですが、「抱きしめたい」の裏面の「ジスボーイ」を聞いたとき、あまりの緩さ加減に失望し「これまでの曲の中では最低」とがっかりした記憶が鮮明に残っております。もしこれがデビュー盤であるならそういう感想など持たなかったはずで、やはりその前に「プリーズプリーズミー」と「アスクミーホワイ」を聞いていたとしか思われません。 (中略) 「ビートルズがやってくる」でこの曲が大事な場面に使われていたときは自分のビートルズ感の方が間違いだったのでは、とショックを覚えました。」

残念ながら購入日の記録は残されてないようですが、高橋さんが国内デビュー間際に買われたのは確かのようです。2枚目だからこそ「これまでの(4)曲の中では」との印象を持たれたのでしょう。最初に買ってたら「この2曲ではこちらが劣る」になるはずです。

「あやふやながら、レコード店に「プリーズプリーズミー」と「抱きしめたい」の二枚が同時に飾られていた記憶があって、その当時二枚のシングルをほぼ同時期に発売するケースなど皆無だったので「凄い」と思ったことが脳裏に刻まれています。それで二枚を比較して第一弾である「プリーズ」の方をとりあえず買ったような‥‥当時はシングル盤が高かったので高校二年では二枚を同時に買えなかったのかも。」


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「抱きしめたい」<OR-1041>330円盤の内ジャケ広告

「気になって私の持っている「抱きしめたい」のジャケットを確認したら、はっきりとこれが「プリーズプリーズミー」に続く第二弾であると記述されているんですが、これでもなにか疑問があるのでしょうか。それともこの盤のジャケットが希少なのか。」

ビートルズ・コレクターでも何でもない高橋さんのこの発言に、ビートルズ・フリークの人達は「急遽「抱きしめたい」をデビュー盤として発売を差し替えたため印刷変更が間に合わなかった」という“定説”を指摘されるでしょうが、ミステリー作家のこの直観がその後威力を発揮して行くことになります。








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「ミューッジック・ライフ」1964年3月号

  ここであらためて大村本を参考にし、デビュー曲に関する過去の発売日データを時系列に並べて整理してみましょう(発売日が明記されてないものは基本的に除外)。

63年12月28日「プリーズ~」2月中旬予定(週刊明星64年1月5日号) 
64年1月20日頃「プリーズ~」2月15日予定(ポップス64年2月号)
64年2月12日 「プリーズ~」2月5日・「抱きしめたい」10日(電波新聞)
64年 2月16日 「プリーズ~」2月5日・「抱きしめたい」10日(日刊スポーツ)
64年 2月16日 「プリーズ~」2月5日・「抱きしめたい」10日予定(サンデー毎日)
64年2月19日 「プリーズ~」2月5日・「抱きしめたい」10日(東京中日新聞)
64年2月20日頃「プリーズ~」2月5日・「抱きしめたい」10日予定(ミュージック・ライフ3月号)
69年11月30日「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」3月5日(70年度版東芝総目録)
74年12月1日「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」3月5日(香月利一著「ビートルズ事典」)
79年6月10日「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」3月5日(香月利一著「ビートルズ・ディスコグラフィー」*以下「香月本」)
81年4月20日「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」2月10日(高嶋弘之著「ヒット・チャートの魔術師」*以下「高嶋本」)
86年9月20日「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」3月5日(ピーター・インガム著「ザ・ビートルズ日本盤ディスコグラフィ」*以下「インガム本」)
03年8月25日「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」2月10日(恩蔵茂著「ビートルズ日本盤よ、永遠に」
 
上記のリストから、2枚の発売日は

① 「プリーズ~」2月15日
② 「プリーズ~」2月5日・「抱きしめたい」10日
③ 「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」3月5日
④ 「抱きしめたい」2月5日・「プリーズ~」2月10日

の4種類があるのがお分かりでしょう(このリスト眺めているだけで、いろいろと想像力を掻き立てられます)。現在の定説は③の70年度版東芝総目録が基準となり、新定説④は高嶋本が基準となっているのが一目瞭然でしょう。真定説の追及は次回ブログ⑤に続く。


ビートルズ国内デビュー曲の謎③

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英ファンクラブから届いた詩集に見入るT少年、1965年(初出し) 
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  詩集とビートルズ 


来日50周年、ムード盛り上がってますね。先日作家の高橋克彦さんから、読売新聞のウェブ・サイト「ビートルズ来日50周年特集」でのマイ・セットリストに回答したとのメールが届きました。さすが主催した新聞社だけあって、サイトでは貴重な初出し画像もかなりアップされているようです。高橋さんのことは以前「ビートルズを訪ねてイギリスに渡った初めての日本人」というコラムにも書かせていただきましたが、何しろ高校生の時にビートルズのファン・クラブ向けTVライヴを現地で観て四人と握手までした人です。“ビートルズに関わる日本人”では重要人物と言えるでしょう。大村本には英ファン・クラブ会報誌「BEATLES BOOK」の関連ページが掲載され、「64年にここまでの体験をした日本人がいたというのは驚愕の事実だ」と書かれています。高橋さんには今回デビュー曲に関するリアルタイマーとしての意見もいろいろお訊きしてはいるのですが、いずれ後日改めて報告させていただきます。 乞うご期待!






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最近ハンブルグでのライヴ音源に「ドウモアリガトウ」と聞こえる音源が収録されてると書かれたブログを見つけました。そこには「当時、日本の商社マンがレイパーバーン(スタークラブのある歓楽街)に遊びに行っていたので、ジョンが見に来ていた日本人のために言ったのでは?」とのコメントが紹介されています。先ほど紹介した私のコラムにはハンブルグ時代にライヴを観ていたらしい人物にも触れているのですが、大村本がきっかけとなりこの人物の現況が解明されました。

篠原恒木氏のツイッターより


大労作『ビートルズと日本』に書かれていた脚注について、片岡義男さんご本人に訊いてみました。
「それはね、僕が商社にいた時の先輩の話だよ。証拠はないけど、あれは絶対にビートルズだったと言ってたよ」
「その先輩は今?」
「亡くなったよ」

大村本出版後は数々の新情報が飛び込んでいるようです。是非あなたも7月1日のトーク・ショーに!



 さて③の本題に続けます。訊き込み調査で「プリーズ~」が圧倒的だったとはいえ、当然それが真実としての確証には成り得ません。レココレに“60年代の特集誌でも圧倒的に「プリーズ~」がデビュー曲でリストされている。”と書いていた手前、大村本に「抱きしめたい」をデビューとする新聞記事が二つあると書かれていたことは正直ちょっと気になりました。何かの雑誌に、「抱きしめたい」をデビューとする順列でディスコグラフィーが書かれているものが一つだけあったことは気付いていました。60年代の音楽雑誌はマガジン・タイムマシーンの有効材料でもあるためほぼ大まかなものは揃えており、この際徹底的にチェックしてみることにしました。まず「プリーズ~」をデビューとする記事からピック・アップ。



642pops.jpg
「ポップス」64年2月号

写真集表
「ビートルズ写真集/ヤァ!ヤァ!ヤァ!セール特典」66年7月
ビートルズ写真集




64年2月号「ポップス」“ヒット・パレード・コーナー”日本での第一弾は「プリーズ~」で2月15日発売   
64年3月号「ポップス」“吹きまくるビートルズ旋風”日本ではどうだろう。二月にオデオンから「プリーズ~」が発売されたが、それまではラジオでしか聞くことができなかった。*「抱きしめたい」の記述なし
64年8月臨増「ポップス」“ビートルズのレコードのすべて”日本におけるビートルズのレコードは、「プリーズ~」を皮切りに、LPが2枚EPが1枚にシングルが10枚。
64年9月号「ビートルズとリバプール・サウンドのすべて(ミュージック・ライフ別冊)」“RECORD GUIDE”「プリーズ~」⇒「抱きしめたい」
66年7月 「ビートルズ写真集/ヤァ!ヤァ!ヤァ!セール特典」“ビートルズ・レコード・リスト”「プリーズ~」⇒「抱きしめたい」
67年11月号「BEATLES DELUXE(ティーンビート臨増)」“ビートルズ・レコード・リスト”「プリーズ~」⇒「抱きしめたい」

これ以外にもマイナーな書籍等での見落としがあるかもしれません。



一方「抱きしめたい」をデビューとする記事ですが、何と音楽雑誌にも4冊ほど見つけてしまいました。

Eiga_story表紙
「映画ストーリー/ビートルズのすべて!!」65年7月号
映画ストーリー発売日


65年7月号「映画ストーリー/ビートルズのすべて!!」“日本発売リスト”「抱きしめたい」⇒「プリーズ~」
66年6/16号「週刊読売/ビートルズが来た!」“ヒット曲パレード「抱きしめたい」曲目解説”アメリカ・日本では第一弾になっているが、イギリスでは~
66年6/25号臨増「週刊明星/これがビートルズだ!」“ビートルズのベスト20曲”「抱きしめたい」:アメリカでも日本でも、64年初頭に第1弾ヒットとなって~
66年7月号「ポップス」“武道館で歌う曲はこれだ”「抱きしめたい」:64年初頭を飾るアメリカ、日本での記念すべき第一弾ヒット。




さらには64年のソノシートにもこんなものが・・。


ソノシート1
「ポピュラー・リクエスト・ベスト8」 64年9月1日発行、ミュージック・グラフ
ソノシート2
マイ・ボニーとツイスト・アンド・シャウトの解説にご注目

ここまで見つかってしまうと、「60年代の特集誌でも圧倒的に「プリーズ~」がデビュー曲でリストされている。」なんてとても言えませんね。

ビートルズ国内デビュー曲の謎②

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定説デビュー曲「抱きしめたい」<OR-1041>
68年以前の「2月5日発売」記録は皆無(未発見?)



  なぜ当時の一般的なビートルズ少年達が現在の定説に反し「プリーズ~」を日本デビュー曲と捉えているのかを考える前に、事情通でない方のために今回のテーマのポイントを提示しておきます。

「プリーズ・プリーズ・ミー」<OR-1024>と「抱きしめたい」<OR-1041>。どちらも無人島に持って行きたいドーナツ盤です。「この無人島盤のどちらがデビュー盤なのかハッキリしない」という話ですね。この話整理する意味で、以前レココレに書いた「リアルタイム体験で直観した“元年データの危うさ”」という記事における関連箇所を抜粋してみます。





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「レコード・コレクターズ」2014年2月号
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現在定説となっている“「抱きしめたい」2月5日、「プリーズ~」3月5日発売説”の根拠であるが、これは69年度の総目録に後付けで記載された発売日が元になっていると思われる。このデータを香月本が基準にしていることは正しい。仮に真実と異なっていようとも、レコード会社が示した発売日なのだから。さあここからが本来の真偽考察である。新聞記事はどうであろうか。大村レポートによると、何と「プリーズ~」2月5日、「抱きしめたい」2月10日、の記事しかないのである(しかも2月16日付)。「ミュージック・ライフ」64年3月号にも同日付の記事が確認出来た。60年代の特集誌でも圧倒的に「プリーズ~」がデビュー曲でリストされている。70年代に入っても渋谷陽一氏等のLP解説もほぼ同意見。当時の僕自身含め、ほとんどのリアルタイマーが「プリーズ~」=デビュー曲という認識であったことが分かった。「抱きしめたい」デビュー説は、どうやら「ビートルズ事典」を経て79年の香月本以降から定着したものと思われる。それに高島弘之氏の「ヒットチャートの魔術師」(81年)での“「抱きしめたい」5日、「プリーズ~」10日”がダメ押ししたと。いずれにせよ、当時のヒット・チャート等の動きから考えてこの2枚がほぼ同時に発売されたことは間違いない。どう考えても「プリーズ~」の3月5日発売はおかしい。69年の後付けデータに香月氏が関わっていたと考えるのは、あまりにマジカル・ミステリーを求め過ぎであろうか。
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これは2年半近くも前に書いたもので、大村本による補足(修正)が若干必要と思われます。
2行目)69年度の総目録 → 70年度の総目録(69年末発行)
5行目)64年当時は「プリーズ~」⇒「抱きしめたい」のみだが、後に「抱きしめたい」⇒「プリーズ~」
     の順とする記事もあり(報知新聞65.5.18、サンケイスポーツ66.6.29*共に発売日の記述はなし)
6行目)2月16日付け → 他に12日と19日付けもあり



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70年度版は持ち合わせていません、あしからず。

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71年度版ですが、70年度版もほぼこの形でしょう。
大村本には、70年度版に「“5日”が突如登場する」とコメントあり。
本当に突如ですよね。



  13行目の「当時のヒット・チャート等の動きから考えて~」の詳細については後述しますが、当時のビートルズ少年が「プリーズ~」をデビュー曲とした理由は大まかに見えてきたと思います。要するに、現在の定説(「抱きしめたい」2月5日発売)の元になったレコード会社の総目録や高嶋説はすべて後付けによるもので、当時の記録がまったく見つかっていないということなのです。そういう裏事情を知ってる私が、「プリーズ~」をリアルタイマーがデビュー曲と思っていると睨んでいる最大の根拠は、何を隠そう実は“訊き込み調査”によるものなのです。マガジンタイムマシーンという手法により、この30年近くの間に電話で接したリアルタイマーは数知れず。ご縁いただいた全国の元ビートルズ少年達を中心に、2年近く前から電話や対面により訊き出したフィールド・ワーク?の結果なのです。私は無類の電話好きで、昨夜も7月1日にトーク・ショー予定の大村さんやブログでディープな日本盤研究をされてる木村さんとひとしきり話し込んだのですが、とにかくメールだけでなく生きた交流を挟みたいのです。電話や対面による調査に拘るのは、声のトーンや表情で予期せぬ真実が見え隠れしたりするからでもあります。メールだけでの問い合わせだと、ちょっとプライドのある人だったりすると、ちゃっかりWikiを参考にされたりしかねませんからね(笑)。ですからその推測は、レココレ等コアな雑誌とかを読まれてなさそうな元ビートルズ少年を中心に訊き出した30件近い回答のうち、「プリーズ~」が圧倒的に9割近くを占めていたという結果からのものなのです(「抱きしめたい」1件、「ラヴ・ミー・ドゥー」1件、「ツイスト・アンド・シャウト」1件、「分からない」3件)。

ビートルズ国内デビュー曲の謎①

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 さあ、いよいよビートルズ来日50周年記念月に突入です。各種イベントも目白押しで、私も自分自身の年齢とも重ね合わせながら何かせねばと密かに計画しております。大村さんの「ビートルズと日本」(以下、大村本)によると、羽田空港到着は29日の3時37分から50分まで、実に7種類の記録があるとのこと。

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3時37分 ティーンビート(66/8)、ティーンビート臨時増刊号
  39分 朝日新聞(29日朝刊)、日刊スポーツ(30日)、内外タイムス(30日)、
       報知新聞(30日)、デイリースポーツ(30日)、週刊女性(7/14号)
  40分 朝日新聞(29日夕刊)、読売新聞(6/29夕刊)、東京中日新聞(30日)、
       スポーツ毎夕新聞(30日)、サンケイスポーツ(30日)、ポップス(8月号)、
      週刊現代(7/14号)、週刊朝日(7/15号)、アサヒグラフ(7/15号)、ヤングレディ(7/11号)
  42分 ミュージック・ライフ(8月号)
  44分 東京スポーツ(30日)、スポーツニッポン(30日) 他8紙(誌)
  45分 東京新聞(29日夕刊)、ティーンビート臨時増刊号
  50分 毎日新聞(29日夕刊)、週刊TVガイド(7/15号) 他3誌
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ね!凄まじいほどのデータ収集力でしょ?

ということで私の密かな計画は、29日の早朝3時37分に開始し、50分までに終えるべく実行することにします(笑)。










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ビートルズ/プリーズ・プリーズ・ミー<OR-1024>
日本最古レコード・ナンバー曲


 今回①としたこのシリーズ、⑩まで続いた「映画の中のレコード店」の時と同じで、ネタはいろいろあるんですがスタート時点ではまだ何も構成考えていません。ということでどうなることやらではありますが、とりあえず始まり始まり~。




 1960年代にビートルズ少年だった人間として抱いている、パーソナルな意識(記憶)があります。

①当時ビートルズ・ミュージックを愛好する若者はマイナーな存在だった。
②日本のデビュー・シングルは「プリーズ・プリーズ・ミー」だと思われていたし、今でも当時の一般的なビートルズ少年・少女はそう思っているようだ。

①についてはリアルタイマーの証言も数多く見受けられるようになり、(世間一般の認識は別にして)音楽フリークには近年その事実が認知されつつあるような気がします。そして②こそが、今回のテーマに直結した記憶と推測であります。





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BS―TBSの「坂崎幸之助のレコード時代」でビートルズとの出会いを語る松崎氏

先日BS―TBSの「坂崎幸之助のレコード時代」というテレビ番組を観ていたら、ビートルズ・フリークで知られる歌手の松崎しげるさんが坂崎幸之助さんに「(決定的だったのが)中学2年の時のビートルズで、日本の発売が『ラヴ・ミー・ドゥー』じゃなくて『プリーズ・プリーズ・ミー』だったの、最初」と発言していました。やはり!と思わず膝を叩いたのですが、浜田省吾君も数年前何かのインタビューで「日本では『プリーズ・プリーズ・ミー』がデビュー曲なんだけど」のような発言をしていたのをハッキリと覚えています。今では定説となっている「抱きしめたい」をデビュー曲と認識しているのは、ほとんどが解散後にファンとなったビートルズ・フリークかレココレとかを愛読されるコアな(?)リアルタイマーではないのかと私は睨んでいます。ビートルズ特集誌等によく登場される、たとえば仲井戸麗市、杉真理、伊藤銀次といったミュージシャンは別にして、元ビートルズ少年だった拓郎も陽水も、ましてや永ちゃんも、おそらく「プリーズ~」を日本デビュー曲だと思っていると確信しているのですが・・。

「始めることは簡単だ、やめることも簡単だ、続けることがむつかしい」

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Meters/「The Meters」<JOS-4016>シールド
DJにはシールドは不要か?


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昨年10月に引き続き、DJ.Mさん来店との連絡があり倉庫からソウル系のLP2箱引っ張り出す。前回はオークション・リスト作成の追い込みで対応出来ずバイトのM君に委ね、今回も予定していた寺内タケシのコンサートで留守のためスタッフKさんに一任。出張買取(観光?)も多く留守がちですが、スタッフだけは30代から80代(今年米寿を迎える母)までの8人体制でシフト組んでおります。
ご安心を!(不安?)


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世界最高齢の中古レコード屋スタッフ     記者会見の席に向かうディラン       
ディラン初来日時プロモパネルの前で



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その昔Lさんからトレードで入手した  今回お買い上げのヤードバーズ/幻の10年(25000円也)
ドイツ盤の「抱きしめたい


  普段は比較的のんびりと余裕ある中古レコード稼業を満喫しておりますが、今年のゴールデン・ウイークでは(いったいいつの話だ)、新潟・埼玉・北海道・ドイツ・イギリス?と、ぽつりぽつり遠方からの来客がありました。GWの県外客はむしろ出戻り移転後の方が顕著な気がします。怖いもの見たさにも似たコレクターの「米屋幻想」とでも言いましょうか(笑)。ドイツのLさんとはジスボーイをオープンした頃からの縁。彼のことは以前コラムでも書きましたが、実に3年ぶりの来店。「とおい・・」とアクセスの悪さを嘆いておりました。いつかは来るぞと思っていましたが、彼の60‘sドーナツ盤への愛情は相変わらず健在で、それはそれは軽い嫉妬を覚えるほど。何とも不思議な人です。













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  さて、朋友の浜田和也さんが8年も継続している地元世羅町での「寺内タケシ&ブルージーンズ」コンサートに行ってまいりました。彼とは、30年近く前に組んでた広島ブルージーンズ時代にベンチャーズの世羅コンサートで知り合いました。その昔、地元テレビの「オタク拝見」という番組に、「レコード・オタク」として依頼のあった私の代わりに、寺内オタクとして出演してもらったこともありました。何年か前には、彼の「寺内追っかけ人生」が日本経済新聞の文化欄に大きく採り上げられたこともありました。当初は自費の赤字覚悟でスタートしたTBJコンサートでしたが、彼の類まれなる(危ないまでの)情熱で、今では世羅の風物詩と言ってもおかしくないほどの“高齢、いや恒例ロック・コンサート”に成長したわけです。

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「ツァラストラはかく語りき」イントロ~「テリーのテーマ」オープニングで華やかにスタートした『コンサート in 世羅2016』。「早く観に来ないと死んじゃうよ」の呼びかけも実にアッケラカンとして寺さんらしいのですが、このオープニングを耳にする度に感じる胸の鼓動は、毎年その高まりを増しているような気がします。MCのキレも相変わらず冴えていて、年季の入ったコンサートは終始“緊張&ほんわか”ムード。寺内タケシを師と仰ぐ超一流プレーヤー達のサポートも手伝って、コンサートは緩急自在に進行して行きます。終盤のハイライトは、「運命」と「津軽じょんがら節」。おそらく平均年齢60才を超えるであろう超満員の観客を前にした喜寿エレキストの熱演には、“圧巻”の二文字以外に言葉が見つかりません。最後にアンコールで「青春へのメッセージ」が始まるや、全員総立ちのトランス状態。この熱気に満ちた団塊フィーバーはいったい何なんだ。夢かうつつか幻か(ちょっとオーバー?)。先月参加したディラン名古屋コンサートとは異種の感動を味わわせていただきました。

これまでの音楽人生で実に多くのコンサートを経験して来たわけですが、最近は「円熟」という言葉がよぎるコンサートも多くなりました。でも寺さんの演奏には、不思議と「円熟」という言葉が似合いません。それは5才でギターを手にした時から77才の今日まで持ち続けている、「大好きなギターを弾きまくるエレキ少年」としての姿をそのプレイに投影しているからでしょうか。しかしながら、「ギター少年」であり続けるということがどんなに困難で大変なことか。今年デビュー55周年の寺内タケシ。ここに至るまでの、ファンの目には触れることのない鍛錬の積み重ね。同じことを無心に繰り返すエネルギー。それは単に「好きだから」だけで続けられることではなかったと思います。「好きであること」の深さ(純度)の違いとでも言いましょうか・・。

「ギターは弾かなきゃ音が出ない!」という有名な言葉と並んで、「始めることは簡単だ、やめることも簡単だ、続けることがむつかしい」という寺内語録があります。コンサート終了後にロビー・フロアーで開催されたサイン会。ファンの長蛇の列を前にストイックな表情でひたすらCDやグッズに向かう寺さんを見ながら、この言葉を誰よりも一番理解しているのは他ならぬ寺内タケシ本人であると確信したのでありました。














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広島ブルーシーンズ時代に、浜田さんの口添えで楽屋訪問した時のショット。
“名誉称号「ブルージーンズ」を使用することを許可する”という寺さんサイン入りの認定書もあったんですが、出て来なかった(コラ!)。ああ、24年前か~

アーカイブ職人

 いやはや何ともハッピーな気分であります。出張セール先の博多では、コアな日本盤研究をされてるKさんとお会いして「日本盤 ビートルズ図鑑」の構想を提案してみたり、「ビートルズと日本」出版記念イベント参加後の大村さんからどしどし届く新着情報に、どんだけビートルズなん?と嬉しい悲鳴。シンコー編集部の美馬さんを中心としたプロモーションの快走ぶりはお見事で、(元々細い目をさらに細めて)ただただ傍観しております。


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4月2日開催イベントレポート
http://www.shinko-music.co.jp/beatles50/report160402.html
4月3日開催イベントレポート
http://www.shinko-music.co.jp/beatles50/report160403.html

美馬さんブログ
http://blog.livedoor.jp/akikomima/archives/2016-04.html










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日本経済新聞(2016年4月12日夕刊)


 シンコーさんのプロモーションが功を奏してか、出版記念イベントのことが日経でとりあげられたようです。
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既存の書籍や記録は疑問点や矛盾が少なくないという。例えば日本での初アルバムの発売日。64年4月5日が定説だったが、今は同15日が有力だ(*1)。イベント当日、参加者の一人が、当時レコード会社に発売日を尋ねた往復はかきの返信(*2)を持参。「15日説を裏付ける資料。こんな風に間違いを正して後世に伝えたい」。大村は期待を膨らませる。50年前の滞在日程に合わせ6月29日~7月3日にも同様のイベントが開かれる(*3)。
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「ビ-トルズと日本」風な、欄外注釈
(*1)いつから有力?今でしょう!
(*2)“発売は四月十五日頃になりますが、曲目の強さでは世界一のものです。”との記述あり
(*3)これも行きたい

日本盤の発売日について日経がとりあげたことは大きいですね。来日50周年で盛り上がりをみせるビートルズ日本事象への関心。メーカー側もこれまでのように傍観しているわけにはいかないのではないでしょうか?この時期に「ビートルズと日本」が出版されたことの意義は、本当に計り知れないほど大きいです。











ロックは語れない
「ロックは語れない」(渋谷陽一著、新潮文庫、1988年)


 さてここで一つ、「アーカイブ職人」のお手並み紹介といきましょう。何がいいか・・。
たとえばここに一冊の対談集があります。これを使ってみましょう。
我が中学時代のクラスメート浜田君の登場です。


ビートルズだけしか愛せない


渋谷「ビートルズの登場って、僕らが小学校六年のころでしょ。」
浜田「俺はひとつ下だから、小学校四年か五年のときなんだ。」
渋谷「友だちが「抱きしめたい」のレコード持ってきて、「これがビートルズだよ」って言うの。なんか汚ネエナアとか思ったことしか覚えてない。」
浜田「「週刊平凡」かなんかに、小ちゃな写真が載っててね、四人写っているんで、姉に「どの人がビートルズか」って聞いたの(笑)。そしたら、四人いて複数だから“S”がつくんだと教えてくれた。それを今でもすごく覚えている。」



この話は省吾フリークにはよく知られた有名なエピソードですが、じゃあその“小っちゃな写真”がどんなものだったのか気になりますよね?浜田君も見てみたいでしょう。

菅田「浜田君が小学生の時に見たという「週刊平凡」のビートルズ記事って分かりますか?」
大村「63年はないから、おそらく64年のこの2枚のいずれかでしょう。」
と送られてきたのが以下の記事です。



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1964年2月27日号

これはリンゴがよく見えないからちょっと疑問・・



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1964年4月30日号(小学6年の春)

四人ハッキリと並んでいる。これだ!

ね~、凄いでしょ?


以上、職人技のほんの一部でも伝えることが出来たなら幸いです。今後「ローリング・ストーンズ日本史」や「キンクス日本史」が、この「大村式」手法でアーカイブされることもありでしょう(キンクスはほとんど作業が無駄になることを覚悟で!)。


最後に、「週刊平凡」の記事についての大村さんからの補足メールを。

「これ以外に、Iさん(イベントで菅田さんの隣に座られていた女性)に教えて頂いたのですが、63年に明星か平凡でビートルズの写真が載っていたはず、とのことです。私が見た範囲ではありませんでしたが、見落としなのか図書館に所蔵がなかったのか・・・。気になるのでいずれ再調査してみようと思っています。」
職人魂炸裂か?

何はともあれ、大村さんの書籍完成により、Iさん(武道館5公演全制覇されたレジェンド)のような方から情報が得られるルートが出来上がったことを何より嬉しく思います。

第10回福岡ディスク・カーニバル

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ディオン/「“ミリオン・ヒット”を歌う」<東芝Y-5003>の帯

 先日の東京出張買取でついにやっちゃいました、“帯のみ買い”。何年ぶりでしょう?中途半端な帯なしより、帯のみの方が高価買取のケースが多々あるのですが、これは簡単に本体とドッキング出来ないのが辛いところ。『ザ・ベスト・オブ・ザ・ビートルズ』や『ザ・ベスト・オブ・ザ・バーズ』ほどではありませんが、これはなかなのもんではないでしょうか?(『ザ・ベスト ~ 』の2枚は帯以前にジャケットの発見が先でしょうが!)当然本体とセットになっていたのですが、放出を渋られたためせめてもの「帯のみ買取」と相成った次第であります。いつか夢叶えたいです。






 さて今週は金曜日から博多でセールがあります。買ってばかりではいけません。売らないと。昨日と本日でダンボール44箱を発送。久しぶりに福岡に顔を出したいと思います。

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買取は続くよどこまでも

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 久方ぶりのブログです(いつものこと)。ここ最近、千葉・東京・愛媛・京都・福岡とそれなりにナイスな買取がありました。広島の珍百景ショップとして月・火曜日を定休日にしてのんびり行きたかったんですが、ネタもいろいろあるのにブログ書くヒマもない。ありがたい限りです。そんな状況でも、買取にひっかけて道後温泉の露天風呂や京都観光などもちゃっかり堪能してる(ヒマじゃん)。でも好きなんですね、レコードを買取するという行為が。そのあたりコレクターの方と似た部分がありますが、私の場合その高価買取したものをさらに売って行かないといけない。大変なんです。3月分のアナログ貴重盤アップしました。ねっ、分かるでしょ?かうはやすく、うるはかたし(買うは易く、売るは難し)。“かうはやすく、うるはたかし(買うは安く、売るは高し)”と読み間違えないで下さいね、念のため。(決して買うは易くもないんですが・・)






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「ビートルズと日本」(大村 亨 著、シンコーミュージック)

 やっとの幕開けです。著者のスタンスを分かり易く説明し、この書籍の本質を見事に言い当てたレビューがさっそくアマゾンに掲載されました。各レビューの振れ幅が大きいアマゾンではありますが、これは超一級の優れものです。本書のグレードと並ぶレビューが最初にアップされた必然といいましょうか。いやはや嬉しい限りです。(何も言うことないや)

  当ブログでも大村さんのデータ収集力の凄さはちょくちょく紹介してきましたが、一冊の音楽本としては予想を遥かに超えた情報量とインパクトに圧倒されつつも、これが膨大な大村ファイルのほんの一部を取り出して編集したものであることも忘れないで下さい。そのあたり、次回のグログでちょっぴり紹介させていただきます。明日早朝に出版記念のイベントに向かいます。そして明後日は東京で買取です。では、SEE YOU NEXT TIME!(いつのことやら)



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ちなみにこちらは展示されません。

帯はなくとも動転、ジャケはなくとも初見 ~バーズ日本盤LPに新発見

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これは新発見ではありません。


先週の土日、新宿で開催した「オークションもれセール」に行ってまいりました。オープン前は準備不足によるバタバタでいつもウエアハウスの戸田さんに迷惑かけてるんですが、今回は例年になく15分前に無事セット完了。その心がけの良さが功を奏したのか(?)、オープン10分前に突如携帯に電話が。

「菅田さん?知り合いがレコード売りたいらしいんだけど・・。」
以前レコード売って頂いたMさんからでした。千葉在住の元音楽業界人とのこと。60年代から音楽活動されてるMさんだけあって、さすが顔が広い。
「今ちょうど出張セールで東京にいるんですよ。凄いタイミングですね!」
「本当~?別に急がないけど電話してみてくれる?」
「もうすぐセールが始まるので、落ち着いたら電話してみます。」
「それじゃあ、よろしく!」

オープンと同時にコレクター軍団が猛ダッシュしてエサ箱に突入!!

~なんて光景は遥か昔のこと。そこそこ冷静に(かつ熱く)皆さん楽しんでチョイスされておりました。
30分ほどが経過し、取りあえず山を越したと判断((気が早い?)。買取の話が頭から離れず、ソワソワとして落ち着きません。店外の通路にそ~と出て、Mさんから紹介されたEさんに電話してみました。年齢やレコードの年代・枚数は申し分なし。帯は基本的にないとのことでしたが、国内アーティストものも多いようで期待に胸膨らむ。つい嬉しくなって、店内に戻るや
「やった~、明日業界盤の買取が決まった!」とガッツ・ポーズ。
エサ箱に向いていた常連さん一同、私の大きな声に驚いてほぼ同時に視線を“ターン、ターン、ターン”。






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セールが一段落してから後は、お店を出てお決りの「ディスク・ユニオン」近辺を散策。近くに宿をとっていた関係で、夕方からは買い物や音楽仲間達と居酒屋でワイワイ・ガヤガヤ。翌日に控えている買取のワクワク感も手伝って、終始上機嫌でした。





 翌朝は(夕方の飛行機を予約していたこともあり)早めにホテルを出て、朝10時には千葉のEさん宅に到着。リミットの16時まで、軽い昼食休憩をはさみ必死に(かつ談笑を交えつつ)選別し、サンプル裸盤LPの塊を除いてほぼ全部のレコード・チェックを完了しました。フゥ~。内容の良さに気を良くして(裸盤への期待もあって)、気持ち1割アップのキリのいい金額で無事買取商談成立。

以下戦利品の一部をご紹介。タイトルの「帯はなくとも動転」の意味がお分かりでしょ?和モノ・コレクターの皆さん。


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帯が付いてるのはほんの一部でしたが、この2枚が連番というのが何ともいい感じ。





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そして、帰宅後に裸盤の塊の中から見つけ出したのがこの1枚。「ジャケはなくとも初見」の内容に仰天でしょ、バーズ・コレクターの皆さん!(少ないか?)。





バーズの初回コロムビア盤は、以下の3枚がこれまでの定説でした。


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*バーズの日本盤デビューLPは、ディランのファーストに2ヶ月ほど先行した65年6月に発売された。続くセカンドを合わせた2枚だけがペラの独自ジャケとなっている。サードの『昨日より若く』<YS-824>でコロムビア盤の3枚は完結する。(「日本盤 60年代ロックLP図鑑」2006年、p98より抜粋)*宣伝1

 

この『ザ・ベスト~』はYS-973というレコード番号から判断して68年春あたりの発売(予定)であったと推測されますが、米国COLUMBIA盤の権利が国内でコロムビアからCBSソニー(68年夏に創業)に移行する直前の混乱により、企画だけはあったものの発売に至らなかったとも考えられます。タイトルから『ザ・ベスト・オブ・ザ・ビートルズ』<OP-7177>を連想するコレクターも多いでしょうが、はたしてジャケットは存在するのかしないのか。連鎖現象で『ザ・ベスト・オブ・ボブ・ディラン』<YS-9**>なんてのが出てきたら、それこそ大事件でしょう。ちなみに『ザ・ベスト・オブ・ザ・ビートルズ』の謎に言及した書物が、来月シンコーよりビートルズ来日50周年企画の一環で出版されます(推薦文書かせていただきました)。*宣伝2







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これらの裸盤シングルはしっかりとその場で評価しました。
都内の300円均一セール等にエルヴィスのESナンバーの裸盤シングルなどがたまに出たりするらしい。
裸盤は要注意ですぞ、コレクターの皆さん。

コレクター?それともファン?

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 オークション・リスト完成後の凪状態で、すっかり気分が緩んでおりました。気が付けば締め切りまで1週間もなし。そろそろビッド入力に本腰を入れて取り組まなければ。絶滅危惧形態リストと言いながらも、ジニアスM君が開発した当店のオークション対応システムだけは超一流。各顧客の入札を打ち込み、最終的に金額別入札リストから判断した落札決定を入力しさえすれば、その後は請求書やオークションもれレコードのプライス・カードまで自動印刷してくれるのです。一応非公開(ブラインド)オークションのプロといえばプロですので・・。







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 今更宣伝しても遅いのですが、いくらかピック・アップを。
今回は新し目の和ジャズと和パンクが目立ち、60年代当時ものではジョニー・アリディーと島倉千代子あたりでしょうか。
特にジョニー・アリディーのリアルタイム・コレクションはインパクトがあるようです。LPは基本的に帯が付いていないのですが、当時コンプリートを意識して集められたということの凄さですね。EPで何か一枚ないものがあったような気はしましたが、ジャケット群眺めていると情報も乏しい時代における熱量のようなものが伝わって来ます。「ロックンロールのレコードを集めるにあたって、みんなエルヴィスばかり注目していたので、あえてジョニー・アリディーに焦点を合わせた。」と言われていました。着眼点の勝利ですね。売っていただいてから気づいたのですが、60年代の音楽雑誌の福田一郎氏らを交えたポップス・ファンの座談会で、高校生の一人として参加しいろいろ語ってらっしゃる記事を拝見しました(ジョニー・アリディーには言及されてませんが)。さすが本物です。




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一方の島倉千代子ですが、一般的にはレコードとしてのコレクター需要は少ないのですが、デビュー当時からの大ファンで古いファンクラブ会員でもあった千葉県のKさん宅で買取。ちょうど東京のセールがあったついでに足を延ばし、千葉の自宅までお邪魔しました。ステージ生写真や各時代のコンサートパンフ、パネル、ポスターその他様々なファングッズが大量にありました。レコードもサイン入りの何と多いことか!私事で恐縮ですが、母親の育児日記に「いつも島倉千代子の「この世の花」ばかり歌っている」と書かれてあったのが記憶にあります。この曲が流行った3~4歳の頃によく歌ってたという割には本人はあまり覚えていないのですが、同じ“I Was Born In 1952”の浜田君がお姉さんの影響でエルヴィスやプラターズを耳にしていたのと違って田舎者の“昭和27年生まれ”ですから。哀愁を帯びた島倉の歌声には幾ばくかのノスタルジーも感じないわけではありません。




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サインといえばオフ・コース関係のレコードにもかなりサイン入りがありますが、鈴木康博のみというのがちょっと・・。「群衆の中で」や「おさらば」のシングルに関しては、よっぽどの鈴木ファンでなければかえってマイナスにならないとも限りません。







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さて、70年代ではクイーンとスプリングスティーンでしょうか(ちょっとレジロスも映っちゃいましたが)。
セットセールのスプリングスティーンは付属品が多く、一応ランダムではありますがアップしておきますのでコレクターの方は参考にして下さい。

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ちなみにこのプロモ・ブックレットのサインは印刷です(当たり前か)。

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プロモフォト(?)はLPの付属品とは限りませんので、あしからず。


以上あまり売り上げ的には貢献しないような宣伝でしたが、ヘヴィー・コレクターはサインとか関係ないアイテムの入札額の熟考を重ねられていることでしょう。その昔、ディープ・パープルの世界中のレコードを集めてるコレクター宅に伺ったことがあります。ディープな内容を拝見しながら、軽い気持ちで「サインとか、グッズ関係は集められないんですか?」と訊いてみました。それに対する一言にはドキっとしました。




「僕はファンではなく、コレクターですから。」









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ジョニー・キャッシュのSUNレーベル盤を見るたびに、
エルヴィスのSUNレーベル盤があればなあ・・と叶わぬ夢にため息を漏らすのです。




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その昔「悲しき~」邦題コレクターっていらっしゃいましたが、
レコード店専用ビートルズLPバッグ・コレクターっていないでしょうね?

人生を音楽に賭ける

謹賀新年
今年もよろしくお願いします。



さていつになくオークショナリー?な気分の正月を終え、何とか目途が立ってきました。予告通り、中旬当たりアップでしょうか・・。枚数は1600枚弱で昨年と比較すると100枚近く減っております。トータル枚数もさることながら、このネット全盛の世の中にあってどれだけオークションのセクションにリスト出来るかでしょう。今回のリストでも、以前なら確実にオークションだったのにセットセールに落ちてしまったものの何と多いことか。以下パラパラっと画像載っけておきます。




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当店が27年間継続している非公開レコード・オークション。かつて全盛期には全国の30店近くが広告を載せ、個人の通販業者を含めたら年間100種以上の紙リストは飛び交っていたでしょうか。普段他店のサイトを覗くようなことも少なくここ最近気付いたのですが、W店、F店、E店もとっくにやめてたようです。他にこの形態を継続している中古レコード店及び通販店は今ではV店・M店の2店のみ、という現実。正に絶滅危惧種ならぬ、絶滅危惧形態。そうした時代の流れにあえて逆らうかのような、アナログ盤売ってんだからアナログ・タッチの紙リストでもいいでしょう、という開き直り。「ネットであけっぴろげに競り合うのが嫌で、落札結果は参考にするが買うのはショップや紙リストで」というオールド・コレクターも意外と多いんです。そういうアナログ・コレクターと繋がっているという安心感。いつか一括処分のときは長年のお付き合いのよしみで是非とも当店で、というスケベ心。まあ現実はそんなに甘くはありませんが、今年も何とかこの形態でリスト出来そうなことに素直に感謝です。









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 昨年末、EIGHTの貞廣さんの紹介で広島パルコが発行する「QUATTRO PRESS」の取材を受けました。取材してくれたのは、同じ“I Was Born 1n 1952”のデザイナー・ドイちゃん(初対面で私のことをカンちゃんと呼ぶようになったフレンドリー・シップに答えて)。お気軽で自由気まま風なパーソナリティーに反して、実に素晴らしくも巧妙な文章力。感心しました。「タイムマシーンを操る、コレクター垂涎の音楽旅人」のタイトルだけでイっちゃってるでしょ?マガジン・タイムマシーンを採り上げた取材は3年前のNHK広島以来(というか二度目)。この時はテレビで実演までしました(バナナのたたき売りかよ)。


ドイちゃんの筆致は実にスムージィー。

“懐かしい音楽のことで長時間話すこともある。当人同士は見ず知らずだというのにね。きみも何度も経験があるように、やっぱりいつの時代も音楽は人と人を音速で近づけてくれるんだよね。これまでトライしたのは3万件!そこにはどんなドラマがあったのだろう。”

いや~、数え切れないほどのドラマと感動がありましたよ。それこそ1冊の本にできるほどの。(でも最近は歳のせいで、数え切れるまで記憶が減退しつつあるのですが)




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昨年末のホール・コンサート入館前のショット

 60過ぎる頃から近しい人との別れを経験することも多くなり、昨年あたりは寄る年波もあってか更年期的症状?を感じることも・・。そんな年回りに届いた浜田君の「光の糸」。最初PV見た時ダサくも感じたこの曲。しかしながらリピートし歌詞を吟味するうちに、そのダサさすら確信犯的に見えて来たのです。“残された僅かな時間の中で 焦らないで 緩まないで生きる”という言葉がどんなに心に響き、かつ前を向く力を与えてくれたことか。歌詞としての普遍性は感じますが、この曲は、人生の終末にくるぶしだけ差し込んでいるような60代にこそ深く届くのです。



ドイちゃんはこう結んでくれました。

“それにしても菅田さんって、音楽が好きなんだなあ。それもそのはず、ビートルズに魅せられ人生を音楽に賭けた人だから。”

ちょっと買いかぶり過ぎの感もありますが、素直に泣けました。自分のことって意外と自分では見えてないんです。でもこれまでの人生を振り返ってみたら、中1の時から半世紀もビートルズ、ビートルズって言ってるんですから・・。そんな単細胞な人生もそれはそれでいいんじゃないかと、このワン・センテンス読んで素直に思えたんですね。

お言葉甘受させていただきます。ドイちゃん、ありがとう!
 




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ドイちゃんが名付けた我が安芸津町にある「大芝島のモン・サン・ミシェル」。その島に、フランスのミュージシャンなど海外からの利用客が多いレンタル・コテージがあるなんて知らなかった。灯台もと暗し

小林克也のNo.1 RADIO

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先日RCCラジオのFM開局特番「小林克也のNo.1 RADIO」にちょっぴり出させていただきました。いや~感激しました。RCCさん、ありがとう!

私の話なんかどうでもいいんですが、一応ゲストということなので訊かれたことには精一杯答えました。余裕ありげに話しましたが、最初はかなり動揺してた気がします。小林克也という人物の音楽人(DJではなく)としての大きさは、稀有な音楽体験や豊かな感受性、変幻自在なまでの異文化との融合性などから育まれたものなのでしょうが、しっかりと凡人の目線に降りて心を開こうとするその誠実な人柄が痛いほど(かつ自然に)伝わって来て、何とも心地よい恍惚の15分間でありました。






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本当は私がインタビューしたかった。10代で「ハートブレイク・ホテル」に出会った時のこと。そのショックはその後どのように変貌を遂げ、今どのようなインスピレーションとなって自分の中に息づいているのか。


RCCから出演依頼があり、年齢調べたら1941年生まれと知ってぶったまげました(60代後半というイメージだったので)。「41年生まれ」でとっさに浮かんだのが、ジョン(40年)とポール(42年)の同世代であるという事実です。さらに「1955年に「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を短波放送で聴き、翌年エルヴィスに目覚めた」と。これって正にジョンやポールと同じ体験を地球の反対側でしたわけです。しかも日本というまったく異なった土壌で。あの大滝詠一ですら同じエルヴィスに目覚めたのはそれから6年後のこと。私がビートルズと出会った10年後ですらまだ裸電球の時代だったわけですから、小林さんがラジオから聞こえて来たエルヴィスにショックを受けた風土的背景とのギャップは凄まじいものがあったと思います。






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番組の冒頭でも話されてましたが、「打ち合わせ」とかは苦手とのこと。今回のトークについても、ディレクターからはほとんど説明なし。生放送ですよね。大丈夫?とも思いましたが、「あなたにとっての人生のNo.1ソング」というお題に、初めて買ったレコード、ビートルズの「恋のアドバイス」を持参しました。

「四人の若者が海に遊びに行ったようなスナップショットに、赤と黄色のレタリングがされてて・・」と、私のレコードを見ながら小林さんがあの美声でジャケットの説明をされる。ジョンやポールと同時代にエルヴィスから同じショックを受けた人ですよ。たまりません。しかもこのジャケットが当時大,大,大好きで、ポールやジョージがしている同じベルトはないものかと探したりしました。





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高校生になって『四人はアイドル』のLPを買ったら裏面が同じショットになっていて狂喜乱舞。動く映像すらほとんど見たことのない時代。当時カラーコピーはないし、音楽雑誌等のグラビア情報も極端に少ない中、何とかこのジャケットを壁に飾りたいと考え、そして私のとった行動は・・






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凶器乱悔?(当時は音源至上主義でしたからジャケットは音には関係ない、と。いわんや帯においてをや)

40年後に帯付の図鑑を出版する人間がとった行動にはとても思えません。 はさみで裏ジャケだけ切り取るって意外と難しいんですよね。やってみてください。(やらないで!)実は当時の熱を伝えようとスタジオにも現物持参してたんですが、小林さんに見せなくてよかった。かなり動揺された(引かれた)と思います。

ビートルズにのめり込んだ理由について訊かれた時、中1のクラスに浜田省吾君がいたのが大きかったことを伝えるのをうっかり忘れてた。高1の時このLPを浜田君の家で一緒に聴いて、「ジョージの「アイ・ニード・ユー」も渋うてエエのう」と話したり、アコギで「アイル・ビー・バック」を歌ってくれたことなど話せば番組的にも盛り上がったのに(後の祭)。


 「米屋をしながらレコードを売るのは、“(他人を傷つけなければ)何をしたっていいんだ”という常識破りなビートルズ・スピリットを意識してるんです。」と話した時、小林さんの口から思わず「ワ~ァ」って言葉が出て、それが凄く自然で、本当に嬉しかった。さらに「(それを聞いて)僕が思いついたのが、ビートルズのマネージャーをしていたブライアン・エプスタインという男がいて、お父さんは大きな家具屋だったんだけど、その家具のわきにレコード売場や楽器売場みたいなのを任されてそれでビートルズと出会うことになるんですけど、お米屋さんでレコードって聞いて、僕はね、時代や場所は違うけど同じように好きなものを追求したっていう」と、昇天級のフォローをしていただきました。

番組の締めに、「菅田さんの人生のNo.1ソング!」の掛け声で「恋のアドバイス」を流していただきました。小林さんの「ハートブレイク・ホテル」に匹敵する私にとってのビートルズの曲は「抱きしめたい」なのですが、この瞬間から、「恋のアドバイス」が間違いなく私の「人生のNo.1ソング」になりました。





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赤面したのは私の方です。

ディス・ボーイ と ビートゥルズ

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毎年恒例、秋から初冬にかけてのオークション検盤作業に没頭しております。そんなさなか、2タイプの買取依頼がありました。一つはジャズ系全般で、当店のオークション・リストで使えそうなものとして70~80年代日本人(フリー・)ジャズがかなり含まれていました。もう一つは80年代日本のパンク・ハードコアをメインとしたもの。こちらも当店本命の60~70年代物ではなかったこともあり、オークション準備期間中の特殊事態を説明し着払いで送っていただくことにしました。届いたレコードをチェックしてみると、リストA(国内アーティスト編)に滑り込み出来そうなものがかなり多く狂喜乱舞(ちょとオーバー?)。出張して限られた時間内で査定出してたら、買取額は半分以下になってたかもしれません。本命でないコアなタイプのレコードの場合、余裕があれば案外着払いの方がいいかもしれませんね。とは言いつつ60年代ロック・ポップス系帯付100枚あれば、連絡あったその日(または翌日)に間違いなくあなたの家にいることでしょう(是非とも!)。共にかなりの緊張と集中力を要する音楽ではありますが、時に苦行僧的心情にも似た検盤になりつつ何とか無事チェック完了しました(年内公開に若干不安もよぎってきましたが、がんばります)。




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 送って来られたパンク・ハードコアのダンボールの宛名は「ディス・ボーイ」となっていたのですが、正解度の順列(⓵ジスボーイ②ジス・ボーイ③ディスボーイ④ディス・ボーイ⑤ナイス・ボーイ)からするとこれは第4級に属するわけであります。今回の場合「デス・ボーイ」と書かれてあったら、特別評価額1万円アップで対応出来たのですが、残念。
(冗談はともかく、レア盤多数でしっかり評価させていただきました)




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 ところで店名の「ジスボーイ」は、ビートルズのLP『No.5』<OR-7013>に収録された「This Boy」の邦題表記「ジス・ボーイ」を一塊りの昇華単語としたものです。「キングレコード」も「キング・レコード」ではなく、浜田君の事務所の「ロードアンドスカイ」も「ロード・アンド・スカイ」ではないのと同じ理屈ですね(本当に同じ理屈?)。要するに中黒「・」を省いてあるのですが、これがなかなかうまく伝わらない。ある出張セールで広告の店名表記を訊かれ、「まあどっちでもいいのですが(気恥ずかしさゆえの前置き)、出来るなら中黒の点を省いて下さい。」とお願いすると、「はい分かりました。」と納得され、

「ジス ボーイ」

としっかり「・」を省略されたこともありました。 ( くっつけてよ! )






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タートゥルズ/レット・ミー・ビー<東芝SR-1451>

 「ジス・ボーイ」は「ジス・イズ・ア・ペン」を連想し失笑を買うのでしょうが、「ビートルズ」だって英語圏の人はそうは発音しないと思います。むしろ「ビートゥルズ」が近いでしょう(「ジスボーイ」を笑うものは「ビートルズ」で笑われろ!?)。実際タートルズの日本盤シングルも、最初東芝から発売された時は「タートゥルズ」と表記されてました。キングレコードに発売権が移行してからは「タートルズ」で定着してしまうのですが、「ビートルズ」が64年のデビューから定着していた表記だったにも関わらず、同じ東芝盤なのに65年~6年に発売されたタートルズの3枚のシングルが「タートゥルズ」と表記された理由は何なのでしょう?解説者の朝妻一郎氏に是正意識があったのが・・(タイトルのみならず本文の解説でもタートゥルズと記載されています)。

私が初めて“ビートゥルズ”なる表現に出会ったのは10年近く前のこと。「60年代ロックLP図鑑」でビートルズのソニー・プレスに関して確認証言をいただいた、ソニー・ミュージック(当時)の岡部篤氏の感想メールでした。

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この度は素晴らしいLP図鑑をお贈りいただき誠にありがとうございました
懐かしくて涙がでました、ビートゥルズは勿論 ハーマンズハーミッツ、デーブクラークファイブ等々
  (中略)
まさに私の原点であり、音楽の素晴らしさに目覚めたのもここにあります
この本がそのことを今、思い出させてくれました             
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回確認のためコピーを取り出して思わずウルっとなってしまったのですが(笑わないで)、当時のリアルタイマーでも「ビートルズ」という表現に抵抗があった人は少なからずいたのではないでしょうか?「TLES」を「トルズ」とする日本語表記はあまりに長すぎた歴史があり、今更動かしようがないのでしょう。岡部氏のメールを拝見した時「きどった表現をする人だな~」と感じてしまった(失礼)私の方が、冷静に考えればおかしいのですが。





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エルヴィス・プレスリーもデビュー盤の「忘れじのひと」<S-235>(SP)では「エルヴィス・プリースリー」となっています。ビル・ヘイリーもデビュー盤「ロック・アラウンド・ザ・クロック」<DE-329>(SP)は「ビル・ハイリー」。共に当時のシングル盤は未発見ですが(エルヴィスは盤のみ存在<ES-5035>)、2枚目からは完璧に「エルヴィス・プレスリー」「ビル・ヘイリー」で定着しています。早く間違いに気づいて良かったですね。



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その気でいこう」<SS-1818>               「エッジ・オブ・リアリティ」<SS-1860>
2枚ほど「エルヴィス」を「エルビス」と表記されたシングルがありますが、その他は完璧に「エルヴィス・プレスリー」です。

黒人音楽のBLUESも「ブルーズ」が正しいようですが、これも「ブルース」の歴史が長すぎてもはや動かしようがありません。もっともカタカナ英語の発音のこと言ってたらアニマルズなんて「エネモウズ」だろうし、いろいろ考えたら不可思議なアーティスト名(バンド名)表記は山ほどありそうな気がしてきました。まあ「ビートルズ」なんてまだましな方でしょう。そう考えたらこの疑問が鬼門に入ってしまいました、とさ。それだけの話でした。結論!?






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[小林克也の No.1 RADIO」という地元RCCラジオのFM開局特番にちょっぴり生出演することになりました。
4時間の生放送のほんの一部ですが、ビートルズとの出会い談義になりそうです。
(小林克也さんの発音する「ジスボーイ」楽しみ?) 
プロフィール


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●店長「菅田」
 1952年広島県安芸津町生まれ。獅子座のAB型。ビートルズをたまにしか聴かないビートルズ・フリーク。
●スタッフ「オイリー」
 A型、初代ミス・ジスボーイ、元ユニコーン(及び新日本プロレス)・ファン
●スタッフ「モンリー」
 A型、元PANTA FC会員(’83~'01)

●スタッフ「スーザン」
 B型、2代目ミス・ジスボーイ、初レコ:中森明菜

●スタッフ「白井」
 O型、趣味:釣り、初CD:フランキー・ヴァリ&フォー・シーズンス

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